エホバの証人

このブログではこのカルト的宗教ムーブメントの創始者である、チャールズ・ラッセルおよびジョセフ・ルザフォードに着目する。このリーダー二人組を一目見たとき、私の脳裏に浮んだのはジョセフ・スミスおよびブリンガム・ヤングというモルモン教の悪名高き二人のリーダーとの相似性である。迷いのない妄想家として彼らは組織を拡大させていった。双方共19世紀に創設され、その当時世の中を席巻していた話題を拾い上げながら、新しい宗教の創設(再興)を触れ回ったのです。ここで各々のグループに問いたい。あなたがたがキリスト教の主流を著しく逸脱しながら究極の真理を心得ているとするなら、果たしてどちらを絶対的な正統とみなすべきか?

とにかくいずれの宗教的ムーブメントにしてもその正当性は、その創設者の品性に掛かっていると言っても過言ではない。エホバの証人はその過去、とくに「パスター」と称されたラッセルに関わる草創期のことについては触れたがらない。しかしラッセルの尽力無しに今日この宗教的ムーブメントは存在し得なかったことを留意すべきである。

ラッセルが拒絶されたのは、その陰鬱な性格に加えて、ラザフォードがラッセルの教示の多くを非難した事実に起因していると思われる。

ラッセルのような緻密な人物を用いたことにも、真理を復元させようとする驚くべき神の偉大さを認めることができます。なぜ当初、ラザフォードだけを神の託宣の伝道者としなかったのか。組織がその形成に当たって堅いリーダーシップに欠けていることは、その組織の脆弱性と教理に対する不信感を裏付けている。

現代の宗教およびカルトについて、通信手段が発達し記録媒体も豊富にある現代において、人々が自分の発言に対して誠実にならざるを得ない中、カルトの訴える真理というものが容易く吟味と批判の的に晒される。

ラッセルの信用は法律に絡む失敗を起点として徐々に瓦解していく。彼は2、3回にわたり訴訟を起こすものの、いずれも敗訴または棄却に終わっている。

その一つが「奇跡の小麦」事件と呼ばれる詐欺行為に端を発したものである。ラッセルは5倍の収穫量を唱ってこの麦を法外な価格で販売。しかし政府の役人が調査した結果、その品質が劣悪であることが発覚しました。
また1912年にはラッセルが自分に関する小冊子を発行したレバレンド・JJロスを訴えるという別の訴訟も発生。ロスを文書による誹謗中傷のかどで法廷に呼び出すことで反撃を図ったのだ。勝訴するためにラッセルは、ロスの冊子に書かれた自分への言い掛かりがでたらめであることを反証しなければならなかった。

このようなラッセルに対する糾弾の声は、彼の教育的および神学的訓練やヘブル語ならびにギリシャ語などの死語の知識に欠けていたこと、そして彼は公認の団体から指導者となるための正式な按手を受けておらず、またその資格すら得ていなかったことに起因する。ラッセルがロスの訴えを前面否定したため、真実の究明と並行した仲裁が進められた。この裁判中において偽証を犯すことで、ラッセルはその信用性を決定的に失墜させてしまった。彼は自らの学歴について問われると、14歳で学校を中退したきりそれ以後の高等教育は修了していないと告白。

また覚えを主張する古代の死語についても、法廷でギリシャ語のアルファベットを問われると、最終的にはギリシャ語の知識がないことを認めざるを得なかった。彼の按手に至っては彼が自分の立場について、自己按手によるものと理解していることが判明。
そして最後にはラッセルが離婚を経験し元妻に扶養料を支払っている事実が発覚することで、彼の宣誓への裏切りが明らかになってしまったのだ。

1916年のラッセルの逝去後、ジョセフ・ラザフォードが彼の指導的立場を引き継ぐことになり、今日「エホバの証人」と知られている組織を立ち上げた。

ラザフォードはラッセルに改ざんされる前の聖書教理を部分的に支持する立場をとった。こうして旧態のラッセル教理による支配体制の変革および転覆をはかった。しかし大変驚くべきことに、たとえエホバの証人がラッセルの影響を逃れようとしても、彼らの信仰告白中にそのニュアンスが残り、しかも1973年までラッセルの教えはものみの塔の刊行物上で採用されていたのです。

ラッセルがまさにこの宗教的ムーブメントの土台であり、彼抜きに「王国会館」建設は語れないという事実を認める。

一方ラザフォードについては、彼の側近者たちから問題のある人格の持ち主であったという声があがっている。特に法律顧問のオリン・モイルは、ラザフォードの大酒飲みというエピソードに加え、卑俗で差別的な言葉や癇癪持ちの性格に不満を覚え、彼との確執を拭えなかったと証言。この他、彼は多数の邸宅を構えるといった贅沢極まりないライフスタイルを持ち主であったこと、そしてラッセルと同じくこの宗教団体の指導者に立った後に離婚に至っていることも周知の事実である。

誰もが首を傾げたくなるような彼の人間性はその異端的な教理から切り離すことはできず、まさに落ちた果実によって木を知るという真理を如実に反映する。

その教義の内容を以下に挙げる:

1925年に神の僕たちの復活とともに人間の回復が起こると主張し、それが1929年におけるベツサリム建立へと発端。ベツサリムは旧約中の預言者および敬虔な人物を歓迎する家とされている。後にラザフォードはその信仰的立場を改めています

グループの創始者ラッセルが提唱した1878年のキリスト再来説を否定し、その時期を1914年まで先延ばししました。

1927年に「眠れる聖徒たち」の復活が1978年から1918年にかけて起こったと主張。

1933年にはラザフォードは、1918年にパレスチナの地でイスラエルの復興が起こるとする説を改ざん。1948年にイスラエル国家が成立するが、もしラザフォードが発生時期をもう少し遅く見積もっていれば、彼の元の予想が正しかったことになる。

またラザフォードはフェミニズムの台頭に対する強い反感の持ち主であった。近づいてくる女性に会釈をする、あるいは席を譲ろうと立ち上がることは、私たちを神から引き離そうとする悪魔の策略であると教示。その傾向の極みが母の日に対しての嫌悪感であった。

また1938年、彼は自分の信者に対して結婚と出産をアルマゲドンの後まで先延ばしすることを迫りました。

このような人物たちの性格および教えを分析して得た結論は、全人類を圧倒する神の真理の代弁者または託宣者として、到底彼らの信憑性や誠実さを立証することはできないということである。反証となる人々の証言、法廷の結果、メディアの影響に加え、自らが制作した発行物が彼らの弁証を妨げる。
それらの証拠を鑑みながら、果たして誰が自分の永遠の魂を彼らの教えに託すことができるでしょう?

袂を分かった両グループの間に一貫性が無いこともマイナスの要因となっている。もし一方の正当性が疑われれば、両方に問題があると考えるのが妥当ではないか?この場合どちらが神の代理人なのか。創設者か?それとも継承者か?

私が是非皆様に自分たちの信仰告白をよく吟味しながら精査して欲しい。そして与えられた証拠によってこの宗教を弁護するか、あるいは真理に立ち返るかを判断してください。
より踏み込んだ学びに興味がおありなら、私も参考にしたWikipedia内の記事や、ウォルター・マーチンの著書、「カルトの王国」を情報収集に役立てていただければ幸いです。

最後にこの投稿が決して誹謗中傷のキャンペーンではないことを断っておきたいのです。老婆心ながらあなたの幸福と利益につながることを願いつつ、敢えて警告を放っていることを覚えていただきたく願います。

ペテロの手紙2の2章1〜3節の聖句を結びの言葉として紹介します。

かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを購ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかに滅びを招いており、しかも多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にします。このような者たちに対する裁きは、昔から怠りなくなされていて、彼らの滅びも滞ることはありません。

 

 

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その他のリンク

エホバの証人の参考資料

Jehovah’s Witness

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