変異と進化

変異は進化論の概念に基づけば、自然淘汰による生命の進化に貢献すると考えられる。しかし変異によって生命の進化が生じたことは立証されておらず、有機質の個体にとっては中立あるいは有害のいずれかであることが分かっている。また DNAの進化はあり得ない以上、変異は遺伝子プールに新しい遺伝子情報を加えることがなく、むしろ情報の欠損のみを誘発し、生命の繁殖どころか絶滅および死滅を招く傾向にある。

この変異現象は例外なく新種の形成を促すとされるが、化石の痕跡を見れば、新しい遺伝子情報を伴うべき生成または変化した種よりも、むしろ絶滅を裏付ける証拠だけが目に付く。このことから生命の起源が本当に数十億年前に遡るのか疑わざるを得ない。証拠を伴った絶滅の事実を考えると、生命の存在が全く不可解になる。したがって、種の出現よりもその消滅をこそ、起こり得るケースとして考える方が妥当ではないか。絶滅について耳にすることは日常茶飯事ではあるが、では果たして新種の発見についてはいかがだろうか?

それに加えて、このプロセスが適者生存の実現に不可欠であるなら、何故歴史的あるいは自然的な絶滅の流れに逆行してまで、現代的な保守主義を掲げながら、絶滅危惧種を保護する必要があるのか?

変異が生命の進化を意味すると信じる科学者たちが、自分やその家族、そしてペットをチェルノブイリやスリーマイル諸島などの放射能エリアで、恩恵に与ろうとしないのは何故か?それは放射能に当たることが社会発展にとって百害あって一利無しであることを実際に知っているからだ。もし人口統制を支持するなら話は別だが。

社会的に違法とみなされるような、不慮の妊娠を強いられた女性たちへの堕胎処置について、それが漸進的に起こった進化と矛盾するのは何故か?遠い未来、変異が発生することで人間の遺伝子が進化する可能性を考慮すれば、堕胎は裁きや直接的な介入を意味し、やがて害をもたらす存在と言うかも知れない。

この見解を支持するなら、なぜ変異が有益になるまで長いスパンを要するのかについて、化石痕および現代において変異種が不在である事実に基づいた、それ相応の弁解が求められる。変異の恩恵に関する演繹的仮説と擦り合わせながら、自然主義の帰納的論理に科学を準拠させることは、もはやそれは科学的方法ではなくただの神話の考察や想像に過ぎなくなる。

例えば、愛犬王国で千種万様な犬種が存在することを鑑みても、巧妙な遺伝子組換えによって純粋な遺伝子情報が失われようと、彼らが犬であることに変わりはない。既に私たちは同種同士の違いがあることを認めているように、種内における小進化は問題としない。しかし時代に連れてこの小さい種別が、分子から人間という大進化にまで発展するなどと教え信じ込ませることは、明らかな詐欺行為であり根も葉もない戯言である。生命の疑問について、有神論的観点をよそに、自然主義哲学から解答を導き出すことはもはや絶望的である。

科学が将来どのような道を辿るにせよ、異質性への明確な先天的感覚を否定するものに固執するような、偏見かつ誘導的なアプローチであることに変わりはないだろう。現在のところ進化論は世間一般において広く支持を集める学説ではあるが、それ自身の哲学的な前提に基づけば、ほぼ全てのものを一定の流動状態におく自らの見解通り、古臭くまたは不十分であることが証明され続けているこの学説も、インテリジェントデザインを確証付ける明白で優れた証拠にとって代わられるだろう。この勢力が早晩廃れることは一目瞭然である。

科学がその見方を変えてインテリジェントデザインを支持する立場に転じた場合、おそらく不可知で進歩的な宇宙生命体によって、はからずも生命が生じたと主張し、是が非でも神の存在を問うことを避けようとするだろう。未来修正論者による起源に対しての観点からは、客観的真理よりも現実逃避のために存在する科学しか見えてこない。

私たちがあらゆる技術革新や現代技術に囲まれ、それらを活用することを許されていながら、これまで新種のホルモン、酵素、単純器官の突然変異を確認した科学者は皆無である。

DNAを人生の文書パーツになぞられると、そこには生命の機能性全体にとって不可欠かつ根本的な、複雑かつ厳密な情報が数千ページにも亘って書き込まれている。一方、この情報には意思を持たない不規則かつ偶発的な作用によらず、意思と知性を持つ源を条件としたコーディングが必要である。この生命に満ちあふれるDNA細胞の言語を見る時に、私たちが氷山の一角ほどしか確認できない驚異的な知性が、果たして知性の存在しない状態から生成することなどあり得ようか?

膨大な宇宙空間を通しても、また微細な細胞を通しても私たちに語りかけないような「創造者」が 、果たしてDNA細胞の言語をプログラムすることなどできようか?

詩篇19編1〜4節
1 天は神の栄光を物語り
大空は御手の業を示す。
2 昼は昼に語り伝え
夜は夜に知識を送る
3 話すことも、語ることもなく
声は聞こえなくても
4 その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向かう。

ローマ書 1章18〜23節
18不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。19 なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。20 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。21 Fなぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえってむなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。22 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、23 滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。 (偽りの宗教と哲学)

 

神と関係を持つ方法

 

その他のリンク

無神論と不可知論のための参考資料

日本人

Mutations and Evolution

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