熱力学の第1法則は創造主としての神の存在を反証するのか?

熱力学第1法則は恒久的な科学的法則ではない。その「エネルギーは生まれもせず、また消滅することもない」という視点には、ある意味で哲学的な側面が伺える。この見解は現時点で確認可能な、エネルギー総量の一定性に関するデータを拡大解釈するものだ。そして憶測によってそれらを、永遠へと向かう時間の旅を提唱したあの有名な不朽の理論と関連付けているに過ぎない。しかしこの自然主義的な立場はその正当性を証明できておらず、実質、願望からの思い込みの域を越えていない。それにも関わらず「これが真実」という調子で独善的に持論を展開する。

このような強硬路線を敷く科学者たちの実情を見ると、経験主義を本分するその分野から形而上学的立場へと転向する動きが確認できる。つまり「ある、ない」と、白黒の解明を目指した一般的な科学的探求に代え、物事を「あり得る、あり得ない」という視点から説き明かそうとする姿勢が窺えるようになった。このように生物学的にも限りある私たち人間には、科学の認識論的な考えや価値観に確信を抱くことは土台不可能であることを認め、そこからの脱却をはかろうとしている。こうして科学のみでは全宇宙の起源について、いくら博識ぶってもその永遠性を解説することはできず、それゆえその永続と消滅のいずれも占うことはできないことが露見される。

次に熱力学の第2法則に注目してみよう。これによれば宇宙は明らかにエントロピー(均質化)の勢力に屈しながら、使用可能エネルギー量の減少により徐々に活動を鈍らせつつ均衡状態へと向かっているという。この現象が本当ならば宇宙を永遠不朽の機械とするよりも、むしろその開始の存在を裏付けることになる。そしてもし明確な起源があったとするなら、そこには何らかの原因、つまりそれを引き起したものが存在しなければならない。この因果説は最高権威者として世を統治する神の創造を支持する、聖書の創造論モデルと合致する。神こそ全ての物事および現実を、時点と空間に合わせて生み出す外的な原動力であり、宇宙をその終末へと導き、その先に新しい秩序を造り出すお方である。

この主題の結論として、根拠のない永遠的存在を信じる物質主義的な無神論に傾倒することは、最も偉大な超越的な神という概念を受け入れることに優って荒唐無稽であると訴えたい。その創造の業の付随的または従属的な効果が、全能者の摂理とそれが反映する知性を体現。そして精巧な仕組みを体験可能にし、それが偉大な設計者による意図的な産物であることを明らかにするからだ。

生命は偶然によるもの?

最後に一言。創造主としての神を否定するために立てられた証明に、議論の声が上がっている。贋物の科学というある種の宗教による教理は、神をその被造物である宇宙から追放できないばかりか、宇宙の起源となる要因の存在が信憑性を増すに連れ、神を歓迎し招くためのドアを開けざるを得なくなっている。

創世記1章1節
1 初めに、神は天地を創造された。

 

詩篇102編26-28節
26 かつてあなたは大地の基を据え
御手をもって天を造られました。
27 それらが滅びることはあるでしょう。しかしあなたは永らえます。
すべては衣のように朽ち果てます。着る物のようにあなたが取り替えられると
すべては替えられてしまいます。
28しかし、あなたが変わることはありません。
あなたの歳月は終わることがありません。

 

ヨハネの黙示録21章1-5節
21 最初の天と最初の地は去っていき、もはや海もなくなった。2 更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。3 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、4  彼らの目の涙をことごとくぬぐい取って下さる。もはや死はなく、もはや悲しみも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」5 すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。

 

神と関係を持つ方法

 

その他のリンク

無神論と不可知論のための参考資料

日本人

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