進化論はサイエンス・フィクション

私たちは教科書から得た情報全てを信じ込む傾向にある。私たちが出版された物を読む時、無意識に働くバイアスによってより踏み込んだ検証および分析が妨げられ、伝えられていることをそのまま真実として受け入れてしまう。こうして著者の知性と偏見からのひらめきや観点に縛られた紙切れによって得た考えが、自分の世界観を形成していく事態を招いている。情報を満載したプロパガンダは実に巧妙であるゆえ、私たちはそれを見抜けずについはまり込んでしまう。ヒトラー曰く、何かを声高にしかも長い時間語り続けるなら、人はそれを信じ始める。

科学者が実際に起こったと推定される現象を説明するために編み出した、進化論というキーワードはよく知られている。理論または仮説といった立派な言葉が使われるが、必ずしも真剣に議論されているとは限らず、忘れ去られることも多々ある。何事も否定的に見るその傾向ゆえ、人は的を射た反論を正統な理由もなく退けてしまうためだ。また彼らにとって持論以外を認めることは無神論の敗北を意味しかねない。もし自らの理論を構成する方程式に神という要素が浮上すれば、生命について仮説を立て直す必要が生じ、今まで自分たちが積み上げてきた知的業績に汚点を残すことを恐れるのである。しかし大前提として理論構造の土台を成す推論および仮説に絶対的なものは存在しない。いつか構造的理論が瓦解して被害を被らないようにお気を付けを。

進化論は一つの説に過ぎず、まだそのストーリーは未完結のままである。現代の技術的進歩や考古学的発見にも関わらず、ミッシングリンクのパズルは依然解けず終いのまま。そのことは生命を知的な何かによる被造物として説明するほうが至って合理的であることを証明している。

変則的偶然のどこを議論の起点とし、またどの課程を掘り下げるにしても、科学者は時に原点を見失い、起源に触れないまま熱く持論を展開するという失敗を犯します。科学は創造主の非存在を証明することはできない。それどころか生命の繊細さと複雑さ、および見事な調和から、創造科学という概念を支持せざるを得ないところまで来ている。そもそも科学者がビッグバン説を唱えるのは、宇宙が拡大していることを彼らが知っているからだ。つまり永遠に存在する無限の空間としての宇宙より、創造されたという聖書的宇宙観を支持していることになる。奇妙なことに科学者はビッグバンが巨大な連続的爆発に起因することに触れながらも、その爆発の原因については言及していない。

ダーウィンは考古学的証拠が存在して初めて、自分が打ち立てた学説の信憑性が確保されると明言している。しかしミッシングリンクや中間形態のように彼の説を詳細に裏付ける証拠は発見されていない。むしろ証拠として提示または確認されたものは後に偽造あるいはねつ造であることが発覚しています。一方、知的存在による意図的創造を唱える理論モデルについては、生命が同種内の遺伝的継承によって成り立っていることを裏付ける証拠が挙がっている。

進化論の問題はその知性よりもむしろ道徳的な意思にある。進化論は神の存在を容認したがらない人々を心酔あるいは満足させるおとぎ話に成り下がってしまった。科学者の無知による信念を持続させ保護するための仮説という脆弱な壁は早晩崩壊し、創造された生命秩序を支配する至高の存在を訴える声に変わるだろう。ローマ書1章18〜32節がこのロジックについて語っています。

このブログでは歯に衣着せず単刀直入に物を言いますが、ではあなたなら科学に取り組むときと同じ程度の関心および真剣さで、バイアスを抜きに神の存在を証明する可能性の研究に臨めますか?教授や教科書からの情報も使わずに、ただ証拠だけを持って自分の考えを形成することができますか?また自分に関する同業者からの定義を拒み、自分で自分自身のことを説明できるでしょうか?

この世界とあなたご自身の創造主に祈りを捧げてみてはいかがでしょうか?神が現実に目に見える形でご自身を顕現され、あなたが神を信じることができますようにと、疑わずに本当に真実を探求する者として、誠実な心で祈ってください。科学によって神の存在を否定しようと試みる多くの人々が、皮肉にも神への信仰に入っているのです。ジョシュ・マクドウェルやリー・ストローベルのように、キリストの証人を論破するという使命に燃えていた者たちが、聖書の真理が心に鳴り響き始めてからというもの、神から来る声を抑え切れなくなったのです。

詩篇19章1〜3節
天は神の栄光を物語り
大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え
夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく 声はきこえなくても。

 
神と関係を持つ方法

 

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無神論と不可知論のための参考資料

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