私は誰で、どうしてここに?

「私は誰」や「私の人生の目的は何」という声に傾聴する時、この問いに対する根源的な回答は個々の精神に宿っていることが分かる、先天的本能が私たち人間の存在に関わる真の性質について各々の良心に訴えるのだ。だがこの自然に生じる認識論は欺瞞の定説を提示しながらの緻密な詭弁によって、都合良くかつ自分勝手に差し替えられてしまう。片や科学者連中は人間の非物質的な存在や魂に懐疑心を抱きつつ、それに取って代わる自然主義的な定理を示すことに精を出す。こうして全能なる起源へ向かう原初的本能に従う代わりに、それとは異なる自衛本能を働かせ自分自身の偶像を崇拝対象として選び、物質主義的な存在論という偽りの神に忠誠を誓い、その足下に跪く人々は後を断たない。だが科学から有効かつ妥当性のある回答が得られていない問題があることに注目して欲しい。宇宙が意思も行動力も持たないのにその中に何かが存在している理由は?またパズルを仕上げる資質に合わせて先見と知性という特権に与り、あたかもこの世界の筆舌し難い不思議の発見を目的に分別と理解力が与えられ、認識力による悟りから理性的に判断できる存在としてなぜ人間が選ばれたのか?科学からはこれらの問いに対する回答が得られていない。皮肉なことにその機知すらも誤謬を犯す人間によって乱用されるというジレンマが残る。このことが本能が伝える知識を抑圧し自ら偽の世界観を編み出しながら、創造者である神に楯突く人間の悪癖に拍車をかけているのだ。こうして否定し難い神の栄光の偉大さを示唆する、無限および無制限の力を示す確認可能な現実を歪め、意図的に自らの可能性を制限しているのである。私はこのデザイン(目的論)モデルの詳細について以前筆を取らせていただいた。是非そのブログを訪問し、非人間的で無作為な偶然を支持する仮説に異を唱える、至高の知的主体の存在に気付いていただきたい。

命は偶然?

ローマ書1章18〜25章
18神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。19なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。20神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。21なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。22彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、23不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。24ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。25彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アーメン。

ニーチェこそ人を神の抹殺へと駆り立てる、醸成された反抗的な怒りの持ち主の代表例である。彼は感情の赴くままに自らの哲学を誇らし気に語り、人間は自分で自分の生きる道を切り開かなければならないとする乱暴な個人主義への自己発心を焚き付け、その追従者たちに解放という救いを信じ込ませようとした。そのような自己確信に満ち一見説得力がありそうな彼の言葉は、引用されやすく中身のない修辞学的な戯れ言に過ぎず客観性に欠いた、主観的かつ盲目的に飛躍した信仰からの反動的な告白である。皮肉にも彼は不慮の死に苛まれながら絵に描いたような人間の脆弱さを露呈し、言い伝えられているその頑健さの信憑性が疑われている。

講壇を引き継ぐもう1人の人物ジャン=ポール・サルトルは人生を不合理なものとし、もし人生に意味があるとするなら人はそれを自分自身で導き出さなければならないという実存主義を提唱。彼によると、人間は自律的で絶対的な自由を保持し、自分を知りどう進化するかを見定めつつ、自分自身の本質を個人的な選択によって断定しなければならない。こうして人を主観の枠内に封じこめ真に孤独であることを宣告するのである。しかし人生の意味と参加意義に対する解決法として促されたはいいが、結局提唱者であるサルトル自身も確信が持てなかったこの理想主義を見限り離れていった者は多い。

恐らく意味なき人生という虚無主義的価値観を瞑想しながら生きた挙げ句、自分の死に直面し叫喚と恐怖の中で最後を迎えながら現実感を取り戻し、苦悩と死に関するハイデッガーの信仰に疑問を抱いたのだと思われる。まるで命題に無い現状に直面した時、人は有神論が理性的であるという確信を改めて抱くことを示唆するように、そのような時間の短さから人は素直で正直な姿を曝け出す。余り知られていない事実だが、サルトルは死の床に伏しながら人生の集大成として最後に以下のような告白を残して凱旋の道を踏んだ。「私は自分自身を偶然の産物とも宇宙の微塵とも思わない。むしろ期待と周到に準備、そして青写真を持って生まれたのである。つまり、創造主だけが現存へと引き出す事の可能な生き物である。創造の手という概念から神の存在が明らかになる。」 この考えは「し尽くし見極めた」挙げ句に得た知恵と人生経験を集約して語ったソロモンによる結論につながる。

コヘレトの手紙(伝道者の書)12章13〜14節
13 すべてに耳を傾けて得た結論。
「神を畏れ、その戒めを守れ。」
これこそ、人間のすべて。
14 神は、善をも悪をも
一切の業を、隠れたこともすべて
裁きの座に引き出されるであろう。

知性に恵まれたニーチェであったが狂人として人生の幕を閉じた。一方視力を失ったサルトルは「善い信仰」に出会い、「悪い信仰」と彼自身が名付けたものへの以前抱いていた盲信を撤回し、理論武装による防衛権を放棄して武闘派無神論者の革命運動を離れた。彼は武装解除しながら自らが初めからずっと間違った敵と戦ってきたことに気付いたのだ。

このように無神論を支持する自作自演の巨人および先駆者たちは行くべき道を明確にし、盲人が盲人を導くように仲間を道連れにしながら神から離れていく。この道をひたすら突き進みながら出口の無い人生のジャングルを彷徨い、やがて幻滅を覚え混乱し、さらに喪失に陥り剥奪されて自分を見失っていく者がいる中、一方で、ある者はその先には断崖絶壁しか無い事に気付き謙虚に足を留め、どうしても退避せざるを得ないと判断し走りながら引き返す。そして自分がそれまで正当な理由も無く心底嫌い拒絶していたお方を受け入れ崇めるに至る。

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最後に、自立的な自己定義をはかっていただくために、人生に関わる人間性の問題を省察するための助けとして、解毒剤の概念を用いた例え話をしたい。あなたがこのような自己同一の危機に関わる致命的な病気に罹ったと仮定した場合、果たして一見病気を扱う方法としては好ましくなく思えても、真に効果のある治療法を望みますか?それとも偽薬による心地よさがどういうわけか奇跡的に力を発揮し、あなたをこの致死的なアイデンティティ危機から救うことを夢見ながら、快適な偽薬療法で自分の意のままに病気を治療するだけで満足を覚えますか?糖尿病患者でない方の人生には直接関わることではないが、このジレンマに直面した人々はPhDを根拠に「全てを知る」診断能力を誇りながら、不遜にも適格に自分自身を治療できると信じる。しかしその実、彼らは自分好みの哲学または宗教を選びながら薬を処方する偽薬を用いた医療過誤者あるいは偽医師でありながら、全てが相対的であることを理由に深刻な問題として扱わない。彼らにとってはむしろ、人生の個人的な意味や価値を提供することで、あなたを満足させることができるかが問題なのである。このようなアプローチはどこか温かく曖昧で受け入れやすく聞こえるが、あなたの治療法が毒であることに気付いた時に、実はそれが口に苦い薬であることが判明する。

終わりに近づいて来ましたが、もし私の意見に挑発と悪意を感じているならこの場をお借りして謝罪させていただきたい。私はただあなたに真剣かつ批判的な眼差しを持っていただき、あなたのアイデンティティは相対主義的な「自由参加」によって決定されるのではないことに気付いて欲しいだけなのです。あなたの存在理由から人生に対する責任感が生まれます。それには不死を装った過去の人物およびグルたちの遊興じみた気ままなシナリオではなく、肯定的かつ真の自己同一が要求されるのです。彼らは自分に備わったカリスマや才能を悪用し、不思議な見せ物によって信頼を得ることで催眠術的な自己陶酔に浸る情熱に取り憑かれながら、聴衆を刺激と魅惑の渦に巻き込むのです。しかし実際のところ、彼らは人間が作った劇中に個人的判断で登場させた役柄を舞台上で演じているに過ぎません。不幸にもそのショーの主人公が舞台を去りそのショー自体も閉幕し、さらに終演後のスタンディングオベーションもなく彼らが再びステージ上に現れることもない事実に、多くの人々が気付いていないのです。私はあなたに問いたい。その劇場から立ち去るのか、あるいは同じ劇の再演もしくはそれに次いで出来の良い作品を待ち望むのか?

とにかく真の探求者ならば現実と真実が招く方向へと向かいながらそれらを徹底的に突き詰めようとするはずです。たとえそれが当初彼らの望まない方向であったとしても。あなたが誰であるかについて私が理性をもって信じられる答えは、死んでしまった哲学者たちではなく生きる永遠の神によって定義されます。このブログを閉じるに当たり、この追求の旅のスタート地点に立とうとしておられるあなたに是非お勧めしたいことがあります。神との調和のとれた関係を通して再現されるとおり、聖書は主を信じることがこの知恵の初めであると宣言します。その聖書を熟読し思索してみてはいかがでしょうか。ご自身の栄光のために何にも替え難い目的というDNAを埋め込み、秩序をもってあなたを創造した天の父によって、あなたは健全な自己同一を回復し心の空虚感を埋め尽くす事ができるのです。

エレミヤ書29章11節
11 わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。

 
神と関係を持つ方法

 

その他のリンク

無神論と不可知論のための参考資料

日本人

Who am I and why am I here?

 

 

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