Archive for the ‘日本人-Japanese’ Category

天台宗資料

Saturday, March 16th, 2013

四つの霊的な法則

Four Spiritual Laws

 

イエスの映画

Jesus Film: view in Japanese

 

新約聖書/聖書

Japanese Living Bible

 

オーディオ聖書

Faith Comes By Hearing

天台宗

Saturday, March 16th, 2013

天台または天台宗は中国天台宗をモデルに改訂されたものです。共通の宗教の旗の下にすべての仏教を結びつけるという混合主義的価値観を有する折衷運動として知られており、禅や台蜜として知られる密教の儀式、特に念仏に関してこの運動といくらか共通の価値観を有する浄土宗の信念や、律宗の禁欲的な規律についての教えなど、他の仏教宗派の信念体系を取り入れています。

この多元的な信念の合成は、仏教を究極の真理、廃権立実としての救いの1手段の下に集めるための手段でした。が、中国の開祖智顗と最澄のビジョンとは正反対に、限られた成功しか得られませんでした。世界的な影響力を持つという使命において、特に西洋で失敗しただけでなく、これらの他の仏教団体は、その排他的なアイデンティティを維持するか、または独自の新しいグ ループを開始しさえしました。それにもかかわらず天台宗派は、修験者やシャーマニズムや神道などのような非仏教の伝統を含めいれ、先の運動を越えてさらに普遍化しようとしました。天台宗 は、人類を助けるために世界に降りてくる仏と菩薩、垂迹を神と関連付けることに より、これらの神道の多神教的、アニミズム信仰を認めるまでに及びました。しかし、皮肉にも悪や暴力に傾倒する悪意のある神もいます。新しい文化に適応するために新しい慣習を発展させるこの多様化は、絶対的真理をうちたてるというよりも仏教の統合という目標に没頭しているように見えます。

日本における天台宗の主要創設者である伝教大師、すなわち最澄は、利己心から自己の方針を推し進めました。私はそれがどこに辿りつこうとも真理を見つけることに服する本物の求道者に合致するものではなく、むしろ、日本の皇族への影響や政治的工作によって明らかなように、彼の個人的な目標や目的を満たすための探求であったと思っています。たとえば、最澄が中国から天台の教えとともに日本に帰国した際、皇族がこの中国の動きにそれほど重要ではなかった密教の信念にもっと関心を寄せていたので、不意を突かれた彼は、アプローチを変えて、自身の教えにもっと密教的な重点を含めるようにしました。そしてこれは、この宗派において権力や影響力を維持しようとする特権階級の気まぐれを満たすために、時とともに進化し続けました。これらの儀式や教義の秘儀性をコントロールして富を得ようとする上で、真言宗東蜜と法相宗派間で後援を求めて闘争があったほどです。また、貴族らは平民や女性が権威のある地位につくのを制限することによって、これらの儀式系統をコントロールしようともしました。これは、万人が現在この肉体にあって悟り、あるいは仏果を達成するという展望に、直感的に反するもののように思われます。ともかく、この闘争は続き、円仁と円珍はより多くの情報を確保するために中国に横断することによって、最高の儀式を見つけることに固執していましたが、良源といった後の人たちは他の儀式を開発するための必要や、自分たちの規定に基づいてそれらを変えたり適応させたりしました。結果的に、この闘争は続き、円珍の寺門派と円仁の山門派が互いの間で争い、流血やその寺院の火災にまで至りました。今日でもこの普遍的仏果を唱えるこの運動は、儀式と教義のあいだで少なくとも20種類の天台宗の宗派に細分されています。最終的に分析すると、団結させることを意図したものが、ただ分裂におわってしまいました。
さらに、この適応は、伝教の弟子たちが 他の宗教に離脱していったり、地元に帰ったりして、約半数を失い始めたときにまた変化しました。それゆえ、彼は、皇族への政治的影響を用いて、その信奉者たちをカルト的形態で隔離しようとしました。修験の教育体系と任職の過程を改革し、彼らが比叡山の修道院の境界内に12年間隔離されることとしました。その上、彼は天台宗を防護した主要な書をしたため、誰 もが天台と密教の実践を通じて、この一生において仏果を達成することができると主張しました。最澄のほとんどの書物は論争的で、天台宗の教義と慣習が他の日本の仏教の宗派よりも優れていることを選り好み的に証明しようとしたもので、法相宗や奈良仏教のような他の教説を拒否していながら、多くのものを包括するものでした。これらの教えや慣習は、日本の僧たちが、最澄のように、自分たちの個人的な関心や見解に応じて、論評によって改訂し、ときには、この動きを新しい方向へと後押しし、自分たちの目的に叶うように経典を文脈から取り出したりすることによって、更に変化していきました。
したがって、このパラダイムのシフト全体は真理や悟りの追求のためではなく、むしろ、彼らの個 人的な関心と並んで、貴族や皇族を惹きつける点で何が朝廷に魅力的であるかが原因となっていました。
この運動のもう一つの矛盾点は、慈悲、慣用、受容、穏やかさを以って、他の人との調和と平和を維持するというソフトな道に従う仏教哲学の基本的価値観に違反していることです。この価値観は、瞑想のみならず、むしろ寺の利益を保護し、戦うための僧兵さえも抱えていたこの血生臭く暴力的な運動の史上の記録とは相容れません。
反対に、釈迦は世俗的な執着と欲望を止めるための4つの気高い真理に参照し、極端を避けることによる中庸の道を教えました。が、彼らの行動はこれらの原則に違反し、それから逸脱しており、彼らは政治的志向と、非倫理的な方法で特権、権力、名声、金銭的利益を得ることに動機があり、仲間の仏教徒との間で容赦なき戦いを引き起こしました。
このすべてを振り返って、最澄は、すべての信者は自己完成と、「菩薩の理想」の生活上の外的な現れである他人の利益のために行動することを求めるべきであると教えました。しかし、この運動の歴史的背景に基づいて見ると、その証拠は全く見当たりません。あなたは、今はそうではなく、それは昔のことだったとおっしゃるかもしれません が、現在の構造が不道徳の岩盤の上に築かれていて欠陥のある基盤を持っているとしたら、そこにどんな良さがあるのでしょうか。正統派の仏教からのこの革新的な離脱は真理の本質を意味するのでしょうか。また、元来の創始者たちが、これらの道徳基準に達することができなかったのなら、一般信徒にとってどんな望みがあるでしょうか。要約すると、私は、彼らの行動と教義上の主張との間には、証拠や一貫性が欠 如していると思います。
結論として、最澄は、日本の宗教団は仏教徒の間で成熟しており、天台宗派の完璧な教えである円教に進む準備ができていると信じました。しかし、私の研究に基づくと、私は彼ら自身の主張に内在的な矛盾を見いだします。また、彼は多くの僧が堕落して強欲になる時代として描写される偽の法の時代、つまり像末の終わりに生きていると思っていましたが、この哲学的立場にしたがうと、彼自身の動きの中で、これが予言的におこり、実現していました。最後に、最澄の完璧さへの訴えは、あなた自身の個人的な人生の現実と符合するものですか。特に、この人生における悟りや仏果の達成、つまり即身成仏に関するあなたの現在の状態に関してはいかがですか。
また、ちなみに私が矛盾していると思うのは、仏果が、蟻や、コオロギ、山、川、草、木といったような生物も非生物も含むすべてのものに本質的 であり、経典の仏陀は単なる暫定的な兆候であり、本当の仏は地球に住むもの、あるいは現象世界であると教えるような汎神論的信念に基づく作り話や迷信です。しかも、先の私の疑問に戻り、あなたが悟りをえた存在であるとすれば、あなたの人生に見られる証拠であなたが仏果を得られることを示すものは何でしょうか。おそらく、この概念全体は、最澄が中国の菩提達磨が日本で神秘的 に生まれ変わったもののだとする作り話と同じくらい神話的なものか、または多分聖徳太子は南岳慧思が死亡する以前に誕生しているのに、聖徳太子を南岳慧思の生まれ変わりだと主張した最澄の弟子の光定と同じくらい間違っているものなのでしょう。

締めくくりに、この宗教は他の宗派からごちゃ混ぜのアイデアを借り入れてきたために一貫性に欠けています。では、この動きが本当にすべて の本質的な教義を吸収したとどうやって確信することができますか。また、天台宗が現在の標準であるとすれば、時間の経過とと もに変化するという以前の傾向に基づくと、この宗派が、次の変わりゆく宗教的信念の展望に適応して、将来の世代に哲学的にアピールするためにその外観を変え、変異していくのを何がとめるのでしょうか。教義と慣習が 変更および廃止することができるものであれば、現在それが完璧な教えであるということと、後にこれを修正しても、典型的な真理の構成要素であると して、そう同じく主張することは矛盾しているように思われます。これは真理の本質的な側面は一定せず、主観的なものであると言うことになりますが、私たちの必要性は真理の現実を規定するものではなく、私たちがそれに適応していくのであってその逆ではありません。適応性は、文化的な変化に対する生き残り戦略として見られるかも しれませんが、これは永遠に定められているものとして、時間と空間の一時的な境界を越える真理の本質を必要とはしません。私たちは、自然の法則の一部 が変更したり、このように操作されるのを見ることはありません。それらは、遠い過去や未来にもそうであったように、今も同じだからです。私たちがその影響に対処するための方法を発見したからといって、それが現実に及ぼす影響やその重厚な存在を取り除くことにはなりません。この動きは、実用主義、あるいは「具合よくいくもの」を必然的に真実なことを測る物差しとして用いてきましたが、真理は私たちに依存するものではなく、一定の定数として私たちのコントロールの外にあるものです。私たちの関心は、土を金に仕立てようとするのではなく、むしろ真理を求める本物の試掘者として、経験や文化上我々のすぐそばの探索領域を超えた領域にあるかもしれない、この希少要素を探していくことであるべきです。また、我々は本質的に、ただ霊的体験について正しくありたいとの自分の願望をみたすためだけに私たちの真理の概念を正しいとする必要はありません。 真理は、私たちの心を裏切り、騙すことによって私たちを惑わせうる感情の状態や私たちの個人的な必要性に依存するものではないからです。したがって、私はあなたが人類のすべてを組み込み、社会的政治的な境界に関係なく、世界的かつ普遍的影響を与えてきた別の運動を見てみることをお勧めます。
キリスト教世界観の証拠に基づけば、すべての民族、舌、国家を救いのための一本のまっすぐな道、すなわち直道の旗の下に統一するのは法華教ではなくイエスであり、イエスが唯一の道なのです。これを確証することのできる多くの方法のうちの一つは、よりグローバルな視点から、私自身を含めて何百万人もの人生が変えられてきたこの現実をみることです。

イエスについての私の証し

www.cbn.com/700club/features/Amazing/

最後に、この運動の歴史と その指導者層には議論の余地があります。あなたは、ご自身の霊的な健康にとって有害な可能性のあるこの組織に信頼してあなたの人生の基盤をおく意思がありますか。加えて、あなたは一日の終わりにあなたの罪悪感にどう対処していますか?その存在は、朝には法華経を唱え、夜には仏の名を唱えることでは決して和らげることのできない決定的に間違った何かがあなたの心の中にあることの警告であるべきです。
終わりにあたって、私がこの運動に関してア ンバランスに厳しく評価したと思われるなら、私はお詫びしなければなりません。私はこの記事を読んでくださった貴重な方を故意に傷つけたりするようなことは絶対にするつもりはないからです。私の意図は、単にその嘘を公開することにより、この運動 の根本的な問題をあなたに認識してもらうことと、あなたに霊的充足を求める他の機会を提供することです。私の友なる方、私は私の動機が利他的であることと、私がただあなたにお願いしたいのは、他の可能性について広い心と受容性を持っていただき、このイエスにあなたが人選を委ねられるように、イエスをあなたに顕してくださるよう神に祈ることであることをお約束します。神の祝福がありますように。

 

 

神と関係を持つ方法

神と関係を持つ方法

How to have a relationship with God

 

その他のリンク

Tendai

天台宗資料

Tendai Resources

 

 

Encyclopedia of Religion Second Edition, copyright 2005 Thomson Gale a part of The Thomson Corporation, Lindsay Jones Editor in Chief, Vol.13, pgs.9074-9080, Paul Groner

Encyclopedia of Religion Second Edition, copyright 2005 Thomson Gale a part of The Thomson Corporation, Lindsay Jones Editor in Chief, Vol.2, pgs.993-996, Bernard Faure

Encyclopedia of Religion Second Edition, copyright 2005 Thomson Gale a part of The Thomson Corporation, Lindsay Jones Editor in Chief, Vol.4, pgs.2781-2782, Allan G. Grapard

Encyclopedia of Religion Second Edition, copyright 2005 Thomson Gale a part of The Thomson Corporation, Lindsay Jones Editor in Chief, Vol.7, pgs.4779-4794, Joseph M. Kitagawa, Gary L. Ebersole

Encyclopedia of Religion Second Edition, copyright 2005 Thomson Gale a part of The Thomson Corporation, Lindsay Jones Editor in Chief, Vol.12, pgs.8029-8031, Paul Groner

Religions of the world: a comprehensive encyclopedia of beliefs and practices/ J. Gordon Melton, Martin Baumann, editors; Todd M. Johnson, World Religious Statistics; Donald Wiebe, Introduction-2nd ed., Copyright 2010 by ABC-CLIO, LLC. Reproduced with permission of ABC-CLIO, Santa Barbara, CA.