Archive for the ‘Kofuku no Kagaku’ Category

幸福の科学

Saturday, October 11th, 2014

エル・カンターレの至上霊の化身または体現者とされる大川隆法を教祖とする幸福の科学は、別名ハッピーサイエンスと呼ばれ(経験的実証を伴う科学とは全く無関係)、新々宗教として知られる、数ある新カルト集団の1つである。教祖の大川は怪し気な
オカルト的チャネリング術によって、モハメッド、キリスト、ブッダ、孔子などと交信をはかる降霊術者としての役割を持つ。それにしても、真理と悟りの震央として自らを偉大視するような、自画自賛的グルまたは霊的指導者は後を断たない。無論、全てを正しいとするわけにはいかない。

それだけではない。他の霊的指導者たちがその使命下で果たすことができずにいる中、自分だけが全人類の一致を実現できると信じるとすれば、そのような自負はエゴと言わざるを得ない。

この宗教ムーブメントによる論議では、地球最後の日を予言する終末論的シナリオに基づいた陰謀説を展開する。それによると北朝鮮と中国が核戦争通じて最初に武力制圧を果たした後に、日本への侵略と植民地化することを企んでいるという。これは実際に起こり得るシナリオとしては余りにも信じ難いし、この事態が現実的かつ継続的な脅威である限り、人をあおり立てるようなこの偏執的思想の信憑性を疑わざるを得ない。殊に国際社会は自由市場における事業の自律を重んじる日本に対して、今までと同様に関心を持ち続けているからである。

この団体の基本的教義では心の探求を主な関心事に据えるが、私からすれば心の啓発と定義した方が妥当に思える。このグループは、修練者に対して権威を持つある種の超然的行為を除いて、その本質的メッセージを伝えるに当たっては、必ずしも宗教的なプラットフォームを必要としないセルフヘルプのモチーフを採用する。彼らが伝えるのは感情が潤う良質な感覚を促進し、他者や自分自身にポジティブな影響を与えることができるという、過大に評価された幸福のメッセージである。一般的には耳触りが良いが、果たしてこれらの新宗教が掲げるような、似通った教条教理同士が競り合う日本社会において、その卓越性をアピールすることが可能なのだろうか?

この団体は自らのアイデンティティの中心を仏教との繋がりに認めているにも関わらず、その基本的な教義を歪曲している。瞑想や正気という概念に言及しながら、三宝、達磨、僧伽などの仏教の表現法や語彙を借用が見られる。例えば、特別な時間次元に基づく理想郷と汚れなき世界が到来すると信じる、終末的時代に目を向ける当集団に対して、正統的仏教は涅槃の境地を諭していることからも、双方の間に矛盾があることが明白になる。

仏教は延々と巡る輪廻転生からの深い執着心や苦悩しかもたらさない、今現在の現世における願望や欲を打ち消すことに焦点が置かれる。一方、この団体では明らかに自分の執心する幸せを強調し、自己中心的な性的快楽を味わいながら現世の幸福を謳歌し、仏教のカルマおよびその報いの教義と関連付けられるような、ストイックかつ宿命論的なネガティブ志向を遠ざけているように窺える。

4の数字を付した象徴的な徳目(四徳)を都合良く使用しているが四諦で概観される釈迦由来の根本的教義が唱える、苦行に因んだ思想からは著しく逸脱している。さらに伝統仏教は無神論あるいは良くても不可知論を支持する立場である一方、幸福の科学はエル・カンターレのように特定の名と形を持つ、神聖な崇拝対象との一体を説く。このように数々の矛盾点を考慮すると、それが確信的でほんの細微な差であれ、教祖大川の召命または任命が釈迦牟尼を出所とする説に疑問を抱かざるを得ない。

この宗教の主眼が真理開悟よりも人気取りにあることは、一般的に馴染み深く受けの良い主題を持ち出すような団体の性格からも疑う余地は無い。伝統仏教の短所以外の宗教的様式を巧みに抽出しかつ歪曲しながら、仏教的アイデンティティを持つ独自の宗派を形成している。したがってこの宗教ムーブメントは、本来の道の回帰などではなく、むしろこの現代主義社会を反映する移ろう時代において、波及効果と大衆の支持が期待出来るような霊性運動の誘発である。私は元々仏教の擁護者ではない。しかし多様化する宗教集団間において夫婦のような関係が生まれる一方、伝統仏教とこれらの集団との間には折り合いの付かない違いが存在し反目し合っている。

教義に関する別の側面について紹介すると、幸福の科学は多元論的な世界観を持ち、どの道も宗教も同じ1つの出所を共有すると信じている。またこの主流を逸脱した自分たちこそ、元来のメッセージにある奥義を示す真理の受容体への扉を開く器として選ばれた群れであると信じる。しかし何を間違ったのか人間のための普遍的なメッセージ発見をめざす人類学的な科学となってしまった。愛が今昔問わず文化的な垣根を越え、さらに人間の満足にとって決定的かつ不可欠であり、人類全てが必要とするものであるという真実の中の真実を悟ることにおいて、さほど大きな創造力が求められるとは思えないのは私だけだろうか。

またこれに加え、人が災難との遭遇を避けられない以上、苦しみや悲しみは人間にとってごく自然な感情表現である。この点を鑑みても、やはり教団の幸福の哲学を問題視せざるを得ない。そして人命の尊厳を重んじかつそれを保護しようとする率先した取り組みが蔑ろにされ、人々が目下の現実的な健康上および生命上の危機に晒されているという、深刻な事態を見落としている。この実現には実際に手を汚しながら人々の福利厚生に仕えるための義に満ちた使命感が強く求められる。

こうして相応しい行動を起こさないことは、犠牲者に対する愛と憐憫と貢献の価値観に対する否定を意味する。不道徳と蒙昧が蔓延る世界で、悪と憎しみを克服し倦ねている人間には俄然無理のある愛と平和への努力を説くような、少数の人間の誠実さ以上のよりダイナミックな対処を要求する。

この教団の成功と存続が社会問題を解決する根源の教えと解答とに負っている以上、教団が無くならないという保証はどこにあるのか?現在、多くの人々が勝てば官軍を豪語する中、教団のメッセージが仮に真実だとしても、全員がそれに聞き従う必要はないと理解され、結局、平和実現への努力によって大衆を改心させることができなくなる。今日の血まみれの世紀において、空前の終末的出来事の後に誰かが何かを提唱することで事態が急変し、平和的な進展が訪れることを裏付ける証拠がどこにあるのだろうか?すでに2つの世界大戦と国連創設を経て平和が提唱されてきた今も問題は未解決のまま、人間性善説に基づく使命および憲章達成への懐疑心は募るばかりだ。この希望を訴えるメッセージの波及効果が幾分か認められても、いまだに真逆の価値観に固執する輩が絶えないままである。 彼らは自分たちに無抵抗を示す弱者と思われる人々を判別しながら、異質な存在から身を守るために力を行使する。このような傾向は世界征服に固執したイスラム教勢力がアラーの名を借りて武装し、他の宗教および宗派グループの抹殺をはかっている特定の地域にて認められる。つまり、蒔いた種の実を刈り取るという原理は、単なる世の努力とその結果に応用されるものではないのだ。

さらに人類が協力のもとで利他主義的な価値観をお互いに共有し合うという考えは、道徳的な限界を持つ人間に背負い切れない負債を負わせるものである。人間は生物の中で最も道徳的であることを期待される一方、その人間がこれまで動物界では滅多に見られない、身の毛もよだつような暴力行為に及んできた。そしてこのような大量虐殺を達成するのに大多数の人間を要さず、ポルポト、アディアミン、スターリン、ヒトラー、ムッソリーニ、サダム・フセイン、ビンラディンなど、ある限られた僅かな独裁者や君主がいれば十分である。「言うは易し、行うは難し」と言われるように、この思想全体が人間的な努力によっては実現不可能と言わざるを得ない。

また個々人の幸福とは他人にとっては主観的であり、仮に相対的な「幸福」という概念についての規格が設けられても、全人類の経験および認識と合致するとは限らないため、全世界で幸福に関する定義を統一することは不可能である。極端な例を挙げれば、地上に様々な形の憎しみをもたらすことに幸福を見出す者さえいる。

好意的な見方をすれば、神と同じく情緒的で気高い道徳的属性をたたえている人間が、神のイメージを限定的に備えていることを認める教団の肯定的な価値観は、賛同する価値があるように思う。しかしそのような性質が人間に備わった経緯や起因となる存在については異論がある。繰り返し言うが、幾つか評価できる点はあるにしても、そのような目的の成就を退廃した人間の歴史に期待することはないと断言できる。同教団はこの社会の破壊的な性質を正しく見抜き、より良い明日を切望しながら人々の心の琴線に触れてはいる。しかし問題の発生者は同時にその解決者にもなり得るという、そのジキルとハイド的な意味不明の論法には首を傾げざるを得ない。傷付けながら治すなどという非理論的な誤謬によれば、人間は自らの肢体を切り刻んでいくような者として存在することになる。

最後に誠意を以てお尋ねしますが、あなたには客観的に見て、自分が
懸命に取り組んでいる目標を達成しているという確信がありますか?それともいまだ日常起こる痛み、苦悩、そして失望という現実と対峙していますか?もしかすると教団のメンバーでありながら、あなたは「心配ご無用」の世界が存在する証拠の在処について、自問する心の声を聞いているのかも知れない。
また、あなたの宗教団体は本当に勢いを増しているのか? それとも数カ国で布教活動の失敗に反映されるように、自らの教義を広め改宗者を起こそうとする精力的活動に陰りが見え始めてはいないか。もしも今現在あなた方が信じるような幸福を手に入れてないなら、過去にそれが訪れたことや、今後も再び訪れることを裏付ける有効な証拠があるのか?要するに、余りにも話しが好過ぎるところにこの教団の欠点と問題があるのだ。

しかしクリスチャンの世界観に立つならば、命の新生、または有限的存在から永遠の魂への昇華を通じて、至高の権威をもって人間の反逆心を打ち砕く神が中心的媒体として変化を生み出し、この悪質な葛藤からの緊縛は解かれる。
神は未だその正義の鉄鎚をこの地上に下ろしてはいない。しかしその延長をして正義の否定と考えるべきではない。むしろ神の心中には誰1人神から離れて滅びることがないことへの願いがあり、神に対する考えを改めるように忍耐深く待っておられる。聖書的に言えば、同教団が訴える理想郷が完全な形で到来する終末の時に、私たちが最終的な成就と完成を見る平和に満ちた神の永遠の支配と統治に対し、それを阻もうとする敵対的な勢力の駆逐には神ご自身の介入が不可欠である。

イエスは道徳的退廃に満ちた今現在の現実から逃避したり否定したりはせず、むしろそこに内在し、ライオンの傍らで子羊が寝そべり、大量破壊兵器が人命維持の道具に改造される千年王国を築くことを宣言された。神がその真理を伝えることによって人間の心と命を新たに作り替えている今日も、私たちは部分的に過ぎないがその片鱗を確かに認めることができる。言わばこの新たな創造は努力と長所を駆使した人事によるではなく、それを実現へと至らしめたのは、神ご自身の天的な性質をたたえた新創造を果たす神ご自身の力であった。私を含めた無数の人々がその証人である。

イエスが強調した、神を愛し自分自身を愛するように隣人を愛するという古くからの黄金律は、人道支援と実践的救援の発展を焦点に孤児院や病院などの組織を設立・運営し、神や教会に敵対する者たちですらその恩恵に与るような世界的影響を及ぼしてきたイエスの教会の働きによって、今日まで脈々と受け継がれている。

幸福の科学の信者と同様、聖書も創造された命の秩序が回復されることを切に待ち望んでいることを明言する。神が定める時と目的のもと、全てのことが成就するような完全なる御国が訪れるまで、私たちはその縮図である自らの人間社会で奉仕することが許されている。神の助けと導きのもと、この地上に神の御国の前味をもたらす働きに仕えつつ、その時を熱心に待ち望もうではないか。

この回を閉じるに当たって、イエスの言葉を1つ紹介しましょう。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」しばしば起こる患難や軋轢のような環境下に置かれても、人は語り尽くせない栄光に満ちた喜びを味わうことができるのである。

御子イエスが、神の真理の光を覆い隠すことで心中を曇らせていた暗雲を、朝陽の如くかき消しながらあなたの心の中に輝き出るように、心から祈っています。親愛なる友よ、あなたに神のみ恵みが豊かにあるように。

マタイによる福音書11章28〜30節
28疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

 

 

神と関係を持つ方法

 

その他のリンク

幸福の科学およびIRHに関する資料

Kofuku no Kagaku

 

 

Religions of the world: a comprehensive encyclopedia of beliefs and practices/ J. Gordon Melton, Martin Baumann, editors; Todd M. Johnson, World Religious Statistics; Donald Wiebe, Introduction-2nd ed., Copyright 2010 by ABC-CLIO, LLC. Reproduced with permission of ABC-CLIO, Santa Barbara, CA.

幸福の科学およびIRHに関する資料

Saturday, October 11th, 2014

四つの霊的な法則

Four Spiritual Laws

 

イエスの映画

Jesus Film: view in Japanese

 

新約聖書/聖書

Japanese Living Bible

 

オーディオ聖書

Faith Comes By Hearing

Kofuku no Kagaku Resources

Tuesday, February 26th, 2013

Four Spiritual Laws

 

Jesus Film

 

New Testament/Bible

 

Audio Bible

Kofuku no Kagaku

Sunday, February 24th, 2013

Kofuku no Kagaku otherwise known as the science of happiness, which is anything but scientific in respect to empirical evidence, is yet another one of Japanese many new cults known as shin shin shukyo and was founded by Ryuho Okawa who is said to be the incarnation or the embodiment of the supreme grand spirit of El Cantare.  Master Okawa role is that of a Spiritist who practices the dark occultic art of channeling the spirits of Muhammad, Christ,  Buddha and Confucius. However there are so many of these gurus and spiritual teachers who have made such elated claims to greatness as being the epicenter of truth and enlightenment and yet obviously they can’t all be right.

Not only that but it becomes egotistical as to think he can succeed in uniting all of humanity when  these other famous spiritual leaders have failed at their mission.

Also some of the controversy that revolves around this movement is its conspiracy theory which supports its apocolyptical plot with a doomsday prophecy with such claims as North Korea and China plotting to invade and colonize Japan after first subduing it through nuclear warfare. This isn’t too hard to imagine as a possible scenario but as far as being a real or lasting threat I think this kind of leveraged paranoia is unfounded especially as the global community has taken an interest as being vested in Japan which upholds its autonomy in the enterprise of a free market.

Anyway the basic teaching of this group revolves around the exploration of the mind which I believe it is more accurately defined as being the exploitation of the mind. This group carries a self-help motif which essentially doesn’t need a religious platform to convey its essential message except perhaps to exercise some kind of transcendent authority over the practitioneer. It communicates an overrated message of promoting a feel good sense of emotional prosperity with a message of happiness as to positively influence others and oneself. In essence it sounds good but are they able to deliver the goods in competition with all of the other claims of these of shinshukyo movements in Japan who are stating similar things.

Anyway this group is predominantly associated with Buddhism in its identity but distorts some of its cardinal teachings. It borrows such common phraseology or vocabulary as the three treasures, the dharma, sangha, mentioning concepts of reflection and the Right Mind. Some discrepancies between this group and orthodox Buddhism is that the latter teaches about reaching a state of Nirvana rather than looking towards some apocalyptical age with a utopian outcome as related to some form of spacial time dimension as obtaining a pristine earthbound reality. Within Buddhism life in the here and now takes on the dimension of focusing more on snuffing out desire and craving which only results in more attachment and  more suffering as prolonging the cycle of reincarnation and rebirth. Yet it appears that this group seems to emphasize more on their attachment as selfishly achieving the sensual pleasure of happiness in the here and now and avoids such Stoic and fatalistic negativity which is often associated with Buddhism especially as it relates to any sort of karmic consequences or retribution.

It conveniently uses the symbolical and numerical value of four yet it swerves away from any association with the fundamental teachings of Buddha as outlined in the Four Noble Truths as related to suffering. Moreover traditional Buddhism is atheistic or agnostic at best and yet IRH identifies with a deity type of figure that has a particular name and form such as El Cantare. Thus when taking in account these various discrepancies whether it be deliberate or just minor distinctions or subtleties  it carries with it a skepticism in believing that Okawa’s calling or appointment really came from Shakyamuni or the Buddha.

Conclusively it appears that the thrust of this movement is more about popularity than truth as its carries a familiar and acceptable theme but avoids the pitfall of the shortcomings of classical Buddhism making it a pick and choose form of religion in distorting Buddhism to form its own new branch of Buddhist identity. Therefore it is not about restoring the original path but rather it is about making new inroads to spirituality which is more conducive or acceptable to this contemporary age of a modernistic society. I must say at this point I am not defending Buddhism per se but I believe that there are some irreconcilable differences which are incompatible as establishing any kind of marital relationship between these diversified groups.

Another aspect of belief is that Happy Science carries the idea of a pluralistic world view as stating that all paths or religions originate from one source and it is implied that this fringe group is the elect or chosen who possess the key to unlock this receptacle of truth which contains the mystery of that original message. It has somehow bypassed  the science of anthropology  to discover through mysticism the universal message for humanity. Personally I don’t think it takes much creativity to realize the quintessential truth that love is a common human need that surpasses all cultural boundaries both presently and in the past as being crucial or critical towards human fulfillment.

Anyway other philosophical problems in respect to happiness would call to question the legitimate expression to the emotion of mourning especially in the light of human tragedy. It also fails to take in an account the seriousness or need for situations that put others at risk in respect to the immediate and posing danger of life and health as ignoring  a need to be proactive towards the preservation as upholding to the sanctity of human life. Moreover this requires and demands a righteous call to action through the just use of arms so as to protect the welfare of other people’s happiness and prosperity. Thus to not act accordingly is to reject the values of love and compassion and contribute to their victimization. It will take a more powerful remedy than the sincerity of a few good men in showing people the way through the mere human effort of  love and peace which is unattainable  as failing to combat the evil and hostility of a largely immoral and uncivilized world.

Also if the success and survival of this movement depends upon this concept as being the original message and answer to societal problems then how can you be reassured that it will not eventually be lost again? After all these peacemaking efforts may fail to convince the masses as many have adopted the saying of might equals right thus the danger is that the message, even if it were true, does not necessitate that everyone  will  listen or act. After all what is the evidence of this progression today considering this is the bloodiest century to date and who’s to say anything will change after some unprecedented event in time with some kind of apocalyptic fallout especially since there has already been a wakeup call with two major world wars and the formation of the United Nations which still has left the world without resolve and skeptical to achieving this mission or plight as having good faith in mankind. Even if there were some degree of success in propagating this message of hope there would   still be those who support such contrary values as being an adversary and who would use the necessary power to defend themselves against such differences by attempting to exterminate those who are considered weak and who offer to them no resistance. This can be seen in certain parts of the world where Islam bears the sword of Allah as displacing all other groups and is adamant about world domination. So to reap what you sow will never work from merely a worldly effort and outcome.

Furthermore by thinking that mankind will pull together as reciprocating altruistic values towards one another is to give too much credit to the limitations of human morality and though we have the greatest potential and responsibility as being moral creatures we have not evolved as mankind has performed horrific acts of violence which are not even repeated at times within the animal world. Moreover it doesn’t even take a mass of people to accomplish these genocidal tendencies as it takes just a few determined tyrants and potentates such as Pol Pot, Idi Amin, Stalin, Hitler, Mussolini, Saddam Hussein, Bin Laden, etc. thus this  whole idea becomes an unreachable goal to the human endeavor as it is one thing to claim yet quite another to achieve.

Also it is impossible to reconcile  a universal or global definition of happiness which is only subjective to the next person and for someone to standardized this is would be contrary to human experience and perception making it a relative term as some people may find happiness as bringing about various forms of hatred on the earth.

Favorably speaking I would like to say that I agree with  some of the positive values of this group which defines mankind as bearing some attributes of God’s image in a limited way by upholding a semblance of humane and civilized moral attributes yet where I differ is on how and by whom this whole matter takes place. Again though it is in some regards a respectable position nonetheless I believe it is highly unlikely based on the annuls of human history to achieve such a goal. This group may rightly discern the destructive properties for our society and touch the heart strings as yearning for a better tomorrow but where it fails is by thinking that those who are the problem are at the same time the solution which simply does not add up or make sense with this Jeckle and Hyde formulation. To be both the injurer and healer is an illogical fallacy as mankind is self-mutilating being.

Lastly in all honesty are objectively convinced that you are really achieving what you are striving for or are you still faced with the daily reality of pain, suffering and disappointmen? You might already be asking yourself as a member where is the evidence of this don’t worry be happy kind of world and apart from a song is your movement really advancing the cause or is it backsliding in its efforts to convert and captivate others to their way of thinking which is what has already happened in its failure to have success in several nations. If it is not happening today is there any good evidence that it has ever happened or will happen again? In summary I just find the claims of this group to be troubling and problematic as being  too good to be true.

 However the Christian world view is able to relieve the tension of this evil dilemma as God becomes the main change agent who sovereignly removes human rebellion either through the regeneration of the human life or by the removal  of dissenters from their earthily existence to an eternal outcome by means of His righteousness and just wrath.  Though God has not brought about his righteous judgment to the earth yet nonetheless justice delayed is not justice denied. Rather it is His heart’s desire that no one should  perish apart from Him and He is patient waiting for others to come into having a change of heart about Him. Biblically speaking it will take divine intervention as to remove the enemies of God which stand in the way of His everlasting rule and reign of peace which will be ultimately  realized and  consummated at the end of the age when these ideals will be perfectly realized.

In closing Jesus didn’t avoid or deny the present reality of moral wickedness and spoke of his immanent coming and a millennial reign in which the bible describes as the lamb laying down with the lion and the people refashioning  or redesigning  their instruments of mass destruction into implements for the sustenance of human life. This is of course is being partly fulfilled today and is apparent as God changes and transforms the hearts and lives of individuals as conveying His truth to humanity. This new creation so to speak was not brought about by human hands as through the efforts and merits of others but rather it was His own power that accomplished this by creating a new creation which represents the divine nature of God himself and this is my testimony and that of millions of others.

Jesus promoted the ancient golden rule to the love the Lord and your neighbor as yourself and this commandment  has been extended today through His church as representing His kingdom on earth which not only serves God but also who helps mankind as originating organizations such as orphanages and hospitals that have had a worldwide impact of whom even our enemies has been the beneficiaries of in respect to the development of these humanitarian aids and practical helps.

As the believers of Kofuku no Kagaku are anticipating a restoration so also the bible plainly confirms this longing along with that of the created order of life. Until then we can serve as a microcosm of the coming age in which all things will be fulfilled in their entirety according to Gods time and purpose. Until then we eagerly await his coming as we occupy with God’s help to bring about a little bit of heaven here on earth.

In closing Jesus said I give you peace but not as the world gives and irrespective of life’s often difficult and conflicting circumstances a person is still able to experience a joy that is unspeakable and full of glory.

Finally I pray that the Son of God will dawn by arising in your hearts in removing the clouds of darkness which has  overshadowed your soul by comprehending  the light of His truth.  May God bless you my friend.

Jesus said: 

Mt 11:28-30

28 Come unto me, all ye that labor and are heavy laden, and I will give you rest. 29 Take my yoke upon you, and learn of me; for I am meek and lowly in heart: and ye shall find rest unto your souls. 30 For my yoke is easy, and my burden is light.

 

 

 

How to have a relationship with God

How to know God

Other links

jesusandjews.com/wordpress/2013/02/26/kofuku-no-kagaku-resources/

 

 

Religions of the world: a comprehensive encyclopedia of beliefs and practices/ J. Gordon Melton, Martin Baumann, editors; Todd M. Johnson, World Religious Statistics; Donald Wiebe, Introduction-2nd ed., Copyright 2010 by ABC-CLIO, LLC. Reproduced with permission of ABC-CLIO, Santa Barbara, CA.