Archive for the ‘日本人-Japanese’ Category

臨済宗

Tuesday, October 14th, 2014

臨在または臨済宗とも知られる禅宗仏教は、明庵栄西(栄西禅師)によって日本で創設された折衷主義的な宗教運動である。
栄西禅師自身は天台宗の一修験者であったが、当時の仏教界における政治的/軍事的癒着が横行した堕落ぶりを目撃し、純粋かつ無傷な状態に回帰することで仏教を再建/復興させることが喫緊であることを悟った。その実現を志し、彼は一路中国へ渡ったのだ。

しかし当初意図していた生粋の仏教を日本へ持ち帰る代わりに、栄西はより異種混合性の増した実践法の修得を探求する結果となった。中国から禅を取り入れた結果として天台宗の密教主義と、外国の臨在宗に影響を受けることで得た要素とが合成されたのである。後に臨在宗の指導者たちが信条の合成的部分を除去し、他の競合相手たちと明確に差別化をはかりながら独自のアイデンティティを形成。その一環として立ち上がったのが「禅」という固有の宗派である。

明庵栄西が編み出した仏教形態はさらに様相を変えながら組織化され、非伝統的かつ彼の個性に応じた仏教になっていく。だが結果的に、彼が本来抱いていた原始仏教を再興する理由を煙に巻いてしまう。さらに主流の仏教家たちに受け入れられることで世に知られるようになり、大日房能忍が目指す純粋な禅宗とは一線を画すようになった。
栄西がこの新しい仏教形態を世に受け入れさせる上で採った方式には納得し難い部分があり、皮肉にも彼の当初の立場を相矛盾するようにも映る。なぜなら一般の日本人市民や大衆たちの悟りに対する関心をよそに、現状維持を目的に武士の身分や侍層たちへ門戸を開いたからである。つまり平民社会と袂を分かつ反フェミニズム的なエリート主義者たちしか相手にしなかったのである。
将軍や天皇、およびその兵士など上流層から関心を得ることに執心し、霊的な達成感や満足感を見出す一般市民のための権利を蔑ろにする態度は、到底納得し難く理解に苦しむ。この現代、その歴史的な立場に関する検証結果を受けながら、なおも厚かましく世に訴え出ようとするこの宗派の信奉者たちは、一体何を拠り所または権威の土台とするのか?
その開始当初からエリート層を対象として考案されたものであるなら、今日一般大衆に向けてアプローチする妥当性がどこにあるのか?

この他、この宗教運動に関する指摘すべきもう1つの特徴は、軍事的および愛国主義的な方法論を支持しない、原始仏教の教義を犯している点に見出される。その代表的例が仏教の大本の原理である五智に反するような、武術および剣道への回帰による攻撃的な非正統的アプローチである。仏教の信仰形態が持つ意義を考えても、この宗派は正統仏教からは排斥されて然るべきである。
嘆かわしいことにこの反発的思想は、戦前の日本において国粋主義および帝国主義を喚起し戦中における中国侵略を促したと非難される、幕府と称される武家政権台頭の種となった。
ある意味、日本の繁栄と安全保証を実現するという理想主義を広めた、臨済宗による論説的な支援行為であったと言える。しかし不幸にも、国家の壊滅状態を招く行為へと日本を後押ししたのである。もしやこの事実は、当宗派の真理告白にも該当するような隠喩として見ることができるのではないだろうか?

この他に浮上する問題は、臨済宗の改革者である白隠の下で使用された公案と、人の本質のありのままを見極める見性の哲学にある。白隠は問答および謎掛けを用いながら相手に理論を尋ねる公案と呼ばれる方法論を編み出し、修練者に人生に関する様々な側面について疑問を持たせる試みを行った。しかし皮肉にも、その疑問の中にはこのプログラムそのものや、臨在宗の教え自体に関する価値も当然含まれることになる。

この概念を命題として据えることには本質的に限界がある。このシステムでは二元論的思考を回避または克服することに執心させることを基準としているため、自らの個人的な目標、課題、傾向、推測、偏見を無にすることは過ちであるとするからだ。また全てを概念化しようとする試みは過ちであるとする信条にも、殻を破った立場から悟りを概念化しているその立場を見るとき、やはり首を傾げざるを得ない。

その上、この方法論を修得することは不可能であると断言できる。たとえ自分の心を変えることができるとしても、これらの制度的実践を活用するという発想から、それが完全な無を意味しないことが裏付けられる。そこにもやはり最終的な悟りの境地に到達したいという欲や願望が同時に働くからである。

これらを踏まえながら尋ねるが、この宗派が悟りに行き着くために用意された送迎車であるとする根拠は一体何か?また弁証法として適しているのかを推し量る手掛かりは?さらに生命の根本的機能と衝突することから、この哲学が存続することも達成されることも現実としてあり得ない。

理論に対して本能的または直感的に抱く常識とは水と油の関係であることからも、悟りへの道として抽象的な謎掛けや隠喩に傾倒する公案を用いるという発想には、疑問を禁じ得ないのではないか。結局、頭の体操によって考えをグルグルと回旋させても、頭痛を招くだけで何も得るものはない。西洋人がおそらくその様相を窺いながら察知し断言するように、この方程式を解くような頭の作業は無限の数字を熟考するようなもので、そこに真の答えを見出せない。

それに加え公案に基づく問答の応酬のみならず、目上の存在による怒号や喝および殴打/張り手などを実践し、まさに軍事訓練そのものである新兵訓練的方法論を採用する。こうして最終的に人を覚醒させる器を気取りながら、効果的に人に衝撃を与えて意思判断能力を奪う方法は、まさにカルト特有のやり口である。彼らはマインドコントロールや洗脳を使って人を催眠術にかけながら、霊的な師匠または教師としての立場を誇示し、相手の思考を自らの都合の良いように服従させる。

Brainwashing and Mind Control in Religious Cults and Elsewhere

このようなニヒリズムおよび禅病を意味する焦燥感は、地震や津波などがもたらした結果から窺えるように、「衝撃」が常に忌むべき無益な事柄であることを明確に示唆する。

知識を土砂のごとく押し出す人を混乱させるような技には、理論の枠組みを逸脱し、さらに理性的考えを重んじる社会から信者を隔離することで、悟りを開かせる意図がある。しかしこれは知性的な自殺行為を意味する危険なことであることを留意していただきたい。頭の中に植え付けられたトラウマが現実を歪めあなたを悟りの境地に達したという錯覚に酔いしれるまやかしへと誘い、最早あなたは正常ではいられなくなる。

終わりに際し、これまで理性をもって疑問に思うことを語ってきましたが、もしこれを読んで下さったあなたの気持ちを害してしまったのなら、この場でお詫びを申し上げます。ただこれはあなたを再覚醒に導きたい意思と願いから出たことであると理解していただきたいのです。しかも決して虐待的にではなくむしろ誠実にあなたと向き合い、あなたの置かれている立場への再考および再検討を促すことを通して。

最後、栄西がインスプレーションと真理を求めて中国に渡ったように、私もあなたに願いたい。ただ祈り、そして上述のことを瞑想しながら、あなた自身の心の深みを探る小旅行に出かけてみてはいかがでしょう?そしてイエスの言葉を思いめぐらすのです。

マタイによる福音書11章28〜30節
28 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 

 

神と関係を持つ方法

 

その他のリンク

臨済宗の情報資料

Rinzai

 

 

Encyclopaedia Britannica,Inc., copyright 1993, Vol.10, pg.81, Rinzai

Encyclopaedia Britannica,Inc., copyright 1993, Vol.15, pg.290, Buddhism

Encyclopedia of Religion Second Edition, copyright 2005 Thomson Gale a part of The Thomson Corporation, Lindsay Jones Editor in Chief, Vol.2, pg.1244, Michio Araki

Encyclopedia of Religion Second Edition, copyright 2005 Thomson Gale a part of The Thomson Corporation, Lindsay Jones Editor in Chief, Vol.4, pg.2306, Roland A. Delattre

Encyclopedia of Religion Second Edition, copyright 2005 Thomson Gale a part of The Thomson Corporation, Lindsay Jones Editor in Chief, Vol.4, pgs.2741-2742, Martin Collcutt

Encyclopedia of Religion Second Edition, copyright 2005 Thomson Gale a part of The Thomson Corporation, Lindsay Jones Editor in Chief, Vol.14, pgs.9943-9951, Steven Heine

臨済宗の情報資料

Saturday, October 11th, 2014

四つの霊的な法則

Four Spiritual Laws

 

イエスの映画

Jesus Film: view in Japanese

 

新約聖書/聖書

Japanese Living Bible

 

オーディオ聖書

Faith Comes By Hearing