Archive for the ‘日本人-Japanese’ Category

白光真宏会

Friday, October 10th, 2014

白光真宏会は五井昌久によって創設された日本の新たな宗教ムーブメントであり、五井は神から世界平和に関しての特別な託宣を授かったとされる。だがこの啓示は新宗教または新興宗教と呼ばれる無数の新カルト宗教を生んだ、第二次世界大戦による壊滅的状態に起因する、安全と安寧への渇望からの反動に過ぎないと思われる。これらカルトの多くが凡人の教祖やごまかしに過ぎないものを解決と呼んで憚らない。仮にそれが露になっても、人間の根本的な欲求やジレンマにクローズアップし人の心の奥襞に触れながら、大衆受けする特殊なモチーフやキャッチフレーズで勝負。カルトはよく類似する、あるいは共通した信仰概念を混合させる傾向がある。そのため宗教同士を区別する上で、教理的差異は各宗教指導者の性質ほど有効な指標にはならない。それならば、もしその1つが正解だとすれば、それは一体何か?

とにかく五井氏の哲学によれば言葉と想念はパターンを変えながら波動を描いているため、特殊な「平和祈願」が人々と世界とに何らかの神秘的な浄化作用をもたらす。この波という概念はこの宗教運動に限ったものではありませんし、以前にも紹介した同時代のカルト、霊波之光も彼ら独自の解釈で波動説を展開している。

霊波之光

この平和へのプロセスにおいて、五井昌久は有効な方法論を採用しながら、その限定的な影響力にも関わらず、現代の世界情勢を激変させる力を持つとされている。その現代世界観が私には理解し難く、未だに疑いを晴らすことができない。私がこの投稿記事を書いている最中にも中東では紛争が続き、北朝鮮と核開発プログラムの脅威は依然として私たちから安堵を奪っている。悪行がもたらす死に甘んじながら、人が堕落や破滅へ向かう様を歴史は語る。またこの世界共通の願いを指針としながら活動を続ける世俗的機関が豊富にある中、ゴール到達のための新たな悟りを開いた宗教は未だに歴史上に姿を現していない。

世界全体をカバーする世界平和条約のみならず、人類史から暴力とその結果を永久追放することを願う的外れな祈りに反映される楽観的な信仰が、その実現には不可欠である。結局、その平和が何らかの形で実現している、あるいは近い将来に実現することの確証はどこから得られるのか?僅か数万人が考えを変えただけでは、到底この課題を達成することはできない。

五井が提唱する別の信念によれば、全ての人々に守護霊と守護神がついているという。これは保護を担う霊/神格を指す概念だが、形而上学的に立証しようがない存在をどう証明するのか?このような信仰は、ある1人のカリスマ的指導者の思想を信じる以上に、盲信的で考えが飛躍し過ぎてはいないか?この伝説的で古くさく、また迷信じみた信仰には、神々が絡む古代の文化的因習とのつながりを感じさせる。つまり無意識のまま悪魔やその息のかかったものを崇めていると言って過言ではない。これらの悪質な霊はその信用を勝ち取ろうとして人間を欺くからです。

また別の信条によれば五井昌久氏がその死後、彼の養女である西園寺昌美を媒体として霊的なシグナルまたはメッセージを送り続けているという。これも、リーダーの継続的な指導を引き延ばすことで権威による統制と勢力を維持しながら、団体の存続をはかろうとするカルトに共通したテーマである。そこには現時点まで積み上げてきた影響力への執着がまざまざと窺える。最近、逝去した指導者が下界と交信しながらその活動を指揮していると信じる、別のカルトに関するブログ記事を投稿した。

最後に、この宗教ムーブメントの主題である世界平和実現について触れたい。人命の尊厳とその保護の大切さを重んじ、さらにそれに貢献したいという欲求は、人間にとっての理屈を越えた本能である。それゆえ世界平和実現に向けた努力に協賛して、人としてできることを行うべきであることは言うまでもない。しかし皮肉なことに人間は大きな解決要因として期待されていると同時に、大きな問題要因でもある。従って社会に真の抜本的変革を起こすために、混沌のサイクルおよび暴力的な仕組みから独立した神の、外側からの介入と力を要するのは必然である。

本質的に人間は破壊という自己の病気を治癒することは不可能である。ただ単に声調を気にしながら決まり文句をつぶやくより、神に介入の余地をさらに広く与えてメスを入れていただき、心と刷新された精神を移植して人間の根本的性質を変化させながら真の変革をはかることが求められてくる。この急激な変化は神との平和および人間同士の平和という結果を通して、私たちに永遠の命を与える。戦争やそれに関連した噂を廃絶し、新しい世界秩序を実現するのは人間の介入ではなく神であることに疑いの余地はない。神ご自身がその御国を地上に築き、平和の君であるイエスの支配によって王座を占めるのだ。

この回を閉じるに当たって私が皆様にお勧めしたいことは、キリストの人格と業とを探求することです。キリストこそ最終的に日の昇る国、日本に平和を打ち立てるお方なのです。

イエスの働きに関する旧約聖書中の預言による証言

イザヤ書9章5〜6節
5  ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。
6  ダビデの王座とその王国に権威は増し
平和は絶えることがない。
王国は正義と恵みの業によって
今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
万軍の主の熱意がこれを成し遂げられる。

福音書中に引用されるイエスの言葉

ヨハネによる福音書 14章27節
27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。

マタイによる福音書 11章28〜30節

28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

 

 

神と関係を持つ方法

 

その他のリンク

白光真宏会リソース

Byakko Shinko Kai

 

 

Religions of the world: a comprehensive encyclopedia of beliefs and practices/ J. Gordon Melton, Martin Baumann, editors; Todd M. Johnson, World Religious Statistics; Donald Wiebe, Introduction-2nd ed., Copyright 2010 by ABC-CLIO, LLC. Reproduced with permission of ABC-CLIO, Santa Barbara, CA.

白光真宏会リソース

Friday, October 10th, 2014

四つの霊的な法則

Four Spiritual Laws

 

イエスの映画

Jesus Film: view in Japanese

 

新約聖書/聖書

Japanese Living Bible

 

オーディオ聖書

Faith Comes By Hearing