Archive for the ‘Sekai Kyusei Kyo’ Category

世界救世教

Tuesday, October 14th, 2014

世界救世教として知られるメシア待望主義の宗教ムーブメントは、健康および裕福さをモットーにした類いの宗派である。多くのご利益を掲げるも、果たしてその教えや実践に効果を期待出来るのか? その英語のイニシャルを取ってCOWMとも呼ばれる世界救済教は、日本文化を背景に興隆した新宗教と呼ばれる新しい宗教的ムーブメントの中でも、とりわけ際立った集団の1つである。その宗教は千種万様の宗教的命題や世界観を組み合わせし霊的な飢え渇きを満たすという、取捨選択による霊性形態を持つ。しかし多彩な料理が揃う宗教的なバイキング料理を並べ、それを目一杯皿に盛ったもので内側を満たしても、健康維持をはかるに十分な栄養摂取の保証にはならず、かえって消費者が自覚しないまま進行する食中毒発症の危険がある。人の視覚に訴えるために美味しく見えるように工夫され、かつ芳しい香りを放ちながら味覚を喜ばせるような、格式高い美辞麗句を並べるが、急性であるにせよ慢性であるにせよ、それは健全かつ豊かな霊性を害する危険要因となる。あたかも実際は毒物であるにも関わらず食欲をそそり、舌を刺激するように料理を装うことが得意な、芸術と調理法に優れたグルメシェフが手塩を込めて用意した料理のようなもの。かの破壊的カルトとして悪名高いオウム真理教のように、全ての新興宗教がそこまで破壊的とは言わないまでも、致命的であることに違いはない。この問題について聖書は、マタイによる福音書24章23〜24節で警告を与える。

23 そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。24 F偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。

この宗教グループの開祖である岡田茂吉こそ、人を誤導する者として聖書が予め警告を発していた人物の1人である。彼は自分について啓示を授かったと主張するが、他の霊的な指導者、導き手、グル、スワーミも同様なことを言い張る。これらの主観的な霊的体験や考えのうち、真実であり決して誤解もしくは単なる想像や空想、または欺瞞の産物ではないとすべきは何か?全てを正論として扱うわけにも、また全命題をして真実と認めるわけにもいかないのだから、もし可能ならば客観的な審査を行う必要がある。哲学的に辻褄が合わない場合、証明不可能な真理を伝える手段として形而上学的な言い含みを用いるものもあるため、まともな人間の目には会得または確知が不可能な、怪し気でオカルト的なものに映ってしまう。まさに秘伝の素材を盛り込んだ自慢料理が、自分のオリジナル料理の秘訣をお得意様に披露するために、安っぽい料理本におさめられる様子を思い浮かべて欲しい。このような選民主義の超越的な知識が人を霊的な師範のカリスマを信頼するように仕向け、やがて集団に人物カルトの性質が備わるのである。しかし聖書は言う。「それが神から出たものであるかを見極めるために霊を吟味しなさい」と。

この宗教的知識に関する仮説のチェック機能として有効なものの1つは、その主張内容が現在私たちの目にする日常生活との相関性である。彼らは病気、貧困、争いをこの世から一掃しメシアの時代の訪れを宣言するための、浄霊という神から降る平癒の光を信じる。これを根拠に語気を強める予言的な理想主義は、現代の世界情勢に関する展望と、マイナー宗教としての限られた影響力から、これほど大層な目標を掲げるだけの理由と証拠を説明し切れていない。

この集団では、岡田茂吉の筆字が記された巻物でお光りと呼ぶレリックや護符のような物を用い、内側に少し丸めた手をかざしながら雰囲気を演出しつつ、参列者や受け手に向けて直に光を当てながら平癒の力を放出することを想定した、浄霊と称するシャーマニズム形式の神秘主義的儀式を執り行う。私が最も声高に異論を述べたいのはそこから生じる結果ついての教義である。健康医療関係者はこの方法が引き起こす状態について、せいぜいエネルギー療法および精神療法に類するプラセボ効果と見るべきだとする。もしこの儀式的処置の他に、未だに解毒用の薬草や体内の免疫システムによる癒しを必要とするなら、その全体的効果を疑わざるを得ない。

さらに病気が悪霊に深く関わるものであるとすれば、この結果は治癒力に帰依するように人を欺く、欺瞞に満ちた罠以外の何物でもなくなる。さらに腑に落ちないのは、この通過儀礼を受けた後、メンバーたちは断続または継続する病気や、老衰の果てに訪れる結果をどのように処理しているかである。もしあなたが依然として病気、苦痛、心身的または性格的な問題を抱えているとすれば、それは信仰の欠如というより、この霊的な実践が虚偽や騙しごとであるからに違いない。これに加えて哲学的な観点から言えば、この浄化儀式には道徳的本質が一切認められないため、悪を追放するとされるご利益を裏付けるだけの説得力に欠く。とにかく霊的沐浴として霊の毒素を洗い清める儀式を伴うこの迷信じみた方法論が、奇跡的癒しおよびインチキ薬商法として世に出回っているのだ。では1つ聞くが、現実として、その商品が期待通り信じる人全てを癒すという希望に応えているのか?もし答えがノーなら、将来において誰かが理想郷や地上の楽園を実現させた場合、彼らはどこに希望を置いたらよいのか?

この問題の多い集団にまつわる話として、先祖鎮霊を唱う民話信仰にあやかった夢や幻を用いてのお告げにも留意するべきである。

さらにこのグループ内部自体にも、覚者岡田茂吉による約束の成就に対する空気に覆われているのは確かだ。その証拠に、岡田茂吉アソシエーション(MOA)として知られ、新しい文明を開花させるための支援するために文化振興活動などの世俗的な動きを取り入れながら、宗教的プログラムを補強することで新しいビジョンと夢の実現を探求し出す者も現れている。皮肉なことに、彼らは霊的原理とその実践という中核的プログラムを通じて自らの目標を果たす上で、この儀礼的アプローチが無効であることを示す結果となった。

この集団の現実的姿と、平和に満ちた新時代を築くというその理想との狭間に横たわる溝をさらに広げる要素として、この宗教ムーブメントが多くの分枝の発生に至った内部抗争および分裂を経験していることに注目したい。これを事実とすれば、宗教の名の下で人間の一致団結を果たすという希望を託された、バベルの塔にも重なる人造の団体に託された希望はどこに存在するのか?

この宗教の唱える「地上の楽園」説の独自性について、メシアという用語と癒しの概念を併用していることからも、そのアイディアの大まかな部分を聖書にある「回復」という主題に負っているように窺える。さらに岡田茂吉を盟主様と称えながら再臨のイエス、あるいは新メシアと同一視する信者さえいる。さらに言えば、そのインスピレーションを岡田が元メンバーとして関わった教派神道グループの大本から得ていることを鑑みると、この宗教には先見の明にも独自さにも欠いていると言わざるを得ない。大本もまた平癒の力とともに、一農家出身の女性を通じた神託やメシアと新天地到来を告げる世の破滅を強調するからだ。

おそらく岡田茂吉の関心の本質は、新しい千年王国時代の到来を告げる終末的予言よりも、菩薩観音から新時代におけるメシアに鞍替えしながら、それらを自分と同一視するような自己満足にあるのではないか。聖書はその中のローマ書8章18〜25節で、被造物たちの間に宿る刷新された世界への切望について記述しているが、これらの千年思想グループの中にはこのような期待をその身に背負っていると自負するものがあるだろう。聖書はまたペテロの手紙第二3章1〜13節において神の贖いによる救済計画のもと、未だ地上が回復されないまま時が満ちるのを待ち望んでいる理由にも触れる。この徹底した固執ぶりはシナイ半島を巡る旅の道中、一時の必要を満たそうとして金の子牛を祭神として鋳造したイスラエル人の話しを彷彿させる。やがてそれは、永遠の神に対する反逆と偶像崇拝以外の何物でもない空しい試みであったことが証明された。そして今、金の子牛に代わりこの宗教グループが、自らを指導者とその哲学ごとパッケージ化し、人を偽りの安心感へと誘惑している。

ローマ書1章22節
22 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、23 滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものになどに似せた像と取り替えたのです。

結論を申し上げると、私はこのグループが標榜する指針については人間にとって有益であることからも、大まかな部分においては賞賛に値すると考えている。しかし特にこのご時勢下におけるこのムーブメントの限られた影響を鑑みる時、私が疑問視するのはそのような高志を人間が果たして自己実現できるのかという点である。この千年王国主義の教派はこの現代において明るい未来を楽観する意味では助けとなるし、人の人生を冒す病についても正当な見方を持っていると評価できよう。しかし癒しへの道というものは儀礼の形式や実践にのみ限定されるものではないし、自然農法や薬草療法による助けを超えた分野を網羅するものである。聖書は魂に巣くう病気に蝕まれた人間の、創造主である神との関係に関わる道徳的退廃と罪に溺れた深刻な状態について述べている。それは私たちの創造主との不和に留まらず、この世で私たちが経験する災害に見るように、他者との疎隔にも通じる。だが、全人類に癒しと回復をもたらす新たな世界秩序のもと、イエスが命を再創造するメシア時代がやがて訪れる時に、その解決を見ることになる。今しばらくは限定的な方法でこれらの理想を追求していくしかないが、最終的にはイエスが完遂されることに希望を抱き、それまでの間信徒はイエスのより豊かな計画と意思の前味として、世界最大級の貢献を認められる人道的支援をもって世界的に影響力を轟かせている。したがって人が既に用意されている神のご計画の道に従って歩む限り、神が始められた他人への憐憫と共感のみ業をイエスの再臨まで継続させるために、新しい啓示や運動を付け加える必要などない。

最後に差し当たり、この投稿の意図する範疇を越えてあなたの気持ちを必要以上に害していないことを願います。このような真剣に問いかけるのは、この団体についてあなたにより批判的に吟味するように促したいという、私の健全な思いからです。この団体の掲げる善良な考えは評価できるものの、その妥当な願望や必要の多くを満足させるだけの十分な能力に欠けています。

その代わりとしてイエスに目を留めることを心からお勧めします。すでにこの宗教的ムーブメントにとってはモデルの一部を為している存在であります。私自身も他の大勢の方々に漏れず、この方によって人生が劇的に変えられました。そしてその方々のものと合わせて私の証を載せたリンク集をご紹介いたします。あなたにとって、現在信じておられる宗教から得る見知や経験を凌駕した、驚くべき現実を味わうための足がかりとなれば幸いです。

www1.cbn.com/700club/episodes/all/amazing-stories

イエスについての私の証し

このブログを閉じるに当り述べておきたいことは、それはイエスだけがあなたを悪から清めることの出来るお方であるということです。イエスはその約束に応じてあなたの心を洗い清め、全ての罪の力から解放し永遠の命を賜ってくださるのです。全ての魂が待ち焦がれる言い尽くし難く栄光に満ちた至上の喜び、平和、そして愛を施す人々と共に、聖霊様の働きを通して新しい性質を与えながら再活性化して下さるイエスは、あなたの魂に英気を与えそこに命を吹き込んで下さるのです。イエスは私たちの魂や体を癒すための天的な光を放つ偉人、預言者、教師の一人ではありません。他と比較できないのは彼こそが光であるからなのです。

ヨハネによる福音書8章12節
12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。」わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」

マタイによる福音書11章28〜30節
28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。29 わたしはにゅうわで謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

 

 

神と関係を持つ方法

 

その他のリンク

世界救世教の情報資料

Sekai Kyusei Kyo

 

 

Encyclopaedia Britannica,Inc., copyright 1993, Vol.8, pgs.947-948, Omoto

Encyclopedia of Religion Second Edition, copyright 2005 Thomson Gale a part of The Thomson Corporation, Lindsay Jones Editor in Chief, Vol.1, pgs.108-109, Peter Clarke

Encyclopedia of Religion Second Edition, copyright 2005 Thomson Gale a part of The Thomson Corporation, Lindsay Jones Editor in Chief, Vol.10, pg.6574, Robert S. Ellwood, Shimazono Susumu

Religions of the world: a comprehensive encyclopedia of beliefs and practices/ J. Gordon Melton, Martin Baumann, editors; Todd M. Johnson, World Religious Statistics; Donald Wiebe, Introduction-2nd ed., Copyright 2010 by ABC-CLIO, LLC. Reproduced with permission of ABC-CLIO, Santa Barbara, CA.

世界救世教の情報資料

Tuesday, October 14th, 2014

四つの霊的な法則

Four Spiritual Laws

 

イエスの映画

Jesus Film: view in Japanese

 

新約聖書/聖書

Japanese Living Bible

 

オーディオ聖書

Faith Comes By Hearing

Sekai Kyusei Kyo Resources

Monday, November 5th, 2012

Four Spiritual Laws

 

Jesus Film

 

New Testament/Bible

 

Audio Bible

Sekai Kyusei Kyo

Friday, November 2nd, 2012

The world messianity movement in Japan known also as Sekai Kyudei Kyo is similar to a health and wealth prosperity group. It promises much but I question it efficacy in delivering all the goods.

The Church of World Messianity or COWM is but one of the many hundreds if not thousands of new religious movements or shinshukyo that has sprung up in the Japanese culture which is a pick and choose form of spirituality with a combination and mixing of various religious themes and world views to fulfill a niche for spiritual hunger. However to present a religious smorgasbord of various recipes and then stuffing oneself with whatever you can pile on your plate does not necessitate being adequately filled with a nutritious and vital meal plan but can result with the effects of food poisoning initially unbeknownst to the consumer. It may seem delicious as appealing to the senses of sight in how it is presented and it may give an alluring aroma along with the textual qualities of taste which appeals to the human palate nonetheless, whether acutely or chronically, it is dangerous to ones spiritual well being and health. These dishes are prepared by the artistic and culinary skills of these gourmet chefs who have disguised their fare as being both desirous and edible yet they are toxic. After all we have already seen this with the destructive cult of Aum Shinrikyo and though not all the shinkō shūkyo may be as obviously destructive nonetheless they are just as deadly. The bible gives warning of this in Matthew 24: 23-24

 

23 Then if anyone says to you, ‘Look, here is the Christ(Messiah)!’ or ‘There he is!’ do not believe it. 24 For false christs(messiahs) and false prophets will arise and perform great signs and wonders, so as to lead astray, if possible, even the elect.

 

The founder of this group Mokichi Okada appears to be one of these characters  of whom the bible forewarns as leading others astray. He makes claims to having received a revelation and yet there have been many other spiritual leaders, guides, gurus and swamis that do likewise and whose to say that these subjective religious experiences and ideations are truth rather than error and may be only the result of imagination, delusion, or deception.  After all not every one can be right in their propositions nor is it possible for every premise to be true thus they must be objectively tested when possible. Some conveniently use metaphysics as a means to communicate truth which is beyond proving unless it is somehow philosophically contradictory and therefore these ideas can remain hidden or occultic from normal human view as beyond the ability to be able to attain or ascertain. Thus this house special of secret ingredients is reserved for the sous chef recipe book who offers a portion of his own unique cuisine to his patrons. This kind of elite transcendent knowledge limits the person to trusting in the charisma of a spiritual teacher at which point it becomes a personality cult and yet the bible would say in objection to this to “test the spirits to see if they are of God”

One of the ways to check this hypothesis of religious knowledge is to see whether the claims are consistent to day to day living as an ongoing reality.  I believe that this revelatory idealism as being empowered with Johrei or God’s healing light to remove illness, poverty, and strife from the world as inaugurating a messianic age has failed to provide sufficient reason and evidence in meeting these goals based on the projection of current world affairs and the limited influence of this fringe group.

What I mostly contest is the outcome of the mystical ritual of Johrei or Jorei that is practiced in a shamanistic fashion by the use of a relic or amulet known as Ohikari, which is a paper scroll of calligraphy from Mokichi Okada’s, or by the use of a cupped upraised hand which supposedly directs light into the participant or recipient releasing the curative power of its good vibes. At best the health officials see an outcome to this method as a placebo effect likened to other energy and spiritual healing techniques. Yet I question its  over all effectiveness if you still need to receive healing through herbal antidotes and the bodies natural immune system apart from the treatment of this ritual remedy?  Moreover if the illness is demonically controlled then this outcome may be no more than a deceptive trick in fooling the individual into believing in these healing powers. Furthermore after undergoing this rite of passage I wonder how members deal with continued or ongoing sickness and the terminal results from aging. Therefore if you are still experiencing sickness, pain/suffering, physical, emotional/mental or personal problems perhaps this spiritual practice is really false or bogus more so than a lack of faith. In addition to this from a philosophical standpoint  there is nothing morally intrinsic to this cleansing ritual  therefore it lacks explanatory power to this supposed benefit of expelling evil . Anyway this superstitious methodology is marketed as some kind of miracle cure or snake oil remedy as a purifying ritual from spiritual toxins and is often likened to having a spiritual bath and yet realistically  is it living up to the hype of it expectations as a cure all and if not then what hope is there for some future man made utopian age or earthily paradise?

Other myths surrounding this controversial group include the use of dreams and visions as guides to action along with the folklore beliefs as pacifying ancestors.

Additionally it appears that this group has its skepticism towards the fulfilling promise of their enlightened leader by which some have under taken to pursue new visions and dreams by supplementing the religious program to include a secular movement of cultural activities known as the “Mokichi Okada Association (MOA)” to help inaugurate a new civilization which ironically shows that this ritualistic approach has proven to be ineffective in actualizing their goals through this primary program of spiritual principles and practice. What further separates reality from the idealism of this group in bringing about a new age of peace is that this movement has had it share of internal conflicts and divisions that has produced a number of different branches. Thus what hope is there in this man made institution as erecting a tower of Babel which attempts to unite humanity under its brand of religion when it has resulted in dispersion?

Now as far as originality is concerned much of this religion’s theory of an earthily paradise seems to borrow their ideas largely from the biblical theme of restoration as using such terms as messiah along with concepts of healing which has led some of their members to equate Okada Mokichi or Meishū-sama as the divine Jesus or perhaps a new messiah. Furthermore this religion is not visionary nor unique but has received much of its inspiration of revelation from Okada’s  former religious ties or affiliation with the Shintoist offshoot group known as Oomoto or Omoto which also makes claims of healing powers, along with divine oracles as being transmitted through a peasant woman and the destruction of the world with the appearance of the messiah as ushering in a new heaven and new earth.

Perhaps Okada Mokichi expectations were essentially self fulfilling rather than revelatory towards the beginning of this new millennial era in portraying himself at first as the Boddhisatva Kannon and then latter as the messiah of the new age. The bible describes a strong desire for a renewed world among His created beings which maybe has led some of these millennial groups to take on such expectations, Romans 8-18-25. The scriptures also explains why the earth as yet has not been restored as waiting for the fullness of time in God’s redemptive plan of salvation, 2 Peter 3:1-13. This whole fixation reminds me of the impatience of the Israelites in the Sinai who made for themselves a golden calf to worship as to suit their temporal needs which proved to be a vain attempt in their act of rebellion and idolatry against the eternal God. So instead of a calf this religion has packaged itself as a man and his theoretical philosophy which has seduced others into reveling in this false sense of security.

 

Romans 1:22

22 Claiming to be wise, they became fools, 23 and exchanged the glory of the immortal God for images resembling mortal man and birds and animals and creeping things.

 

In conclusion I do admire many of the goals of this group as being beneficial for mankind but I question that humanity is able to bring about it’s own fulfillment to such high ambitions especially in respect to the limited impact of this movement in light of current world trends. This millennialist sect is hopeful to a brighter future in view of this present age and they have rightly determined the sickness of this life but the path to healing is much larger than any ritualistic form or practice and is far more encompassing as being beyond the help of nature farming or shizen noho and herbal remedies. The bible describes mankind’s serious condition as a sickness of the soul as being morally depraved or sinful in relating to their Creator God which not only has caused alienation with our Maker but also with others along with the calamities that we experience in this world. Nonetheless this will someday be remedied by a messianic age in which Jesus will reconstruct life under a New World order that will bring healing and restoration to all. In the meanwhile we can work and pursue these matters in a limited way but He will be the ultimate fulfillment of these things and therefore for now believers are only a microcosm to His fuller plan/will as they are one of the largest contributors to humanitarian aid in having an universal and worldwide impact. Thus if people follow the path of God’s plan as already laid out then it doesn’t take a new revelation or new movement to continue His established work of mercy and compassion towards others until He returns.

Lastly I hope I have not needlessly offended you over the directness of this post and my serious questioning is only meant as a healthy challenge to get you to think more critically about this institution which has some good ideas but who lacks the sufficiency and ability to fulfill many of these legitimate desires and needs.

In turn I welcome you to take a look at Jesus who in part has already been a model to this movement by whom I have been radically changed along with millions of others and so I am providing some links to my testimony and that of other believers which hopefully is an encouragement to look beyond your present religious view and experience.

www.cbn.com/700club/features/amazing/

jesusandjews.com/wordpress/my-personal-testimony-with-jesus/

Finally it is in Jesus that you can receive purification from evil as He washes and cleanses your heart according to His word; delivering you from the power of all sin and giving you the gift of Eternal Life.  Furthermore He will nourish and give life to your soul as He regenerates you by giving you a new nature through the work of the Holy Spirit with the benefactors of ultimate joy, peace, and love which is unspeakable and full of glory the likes of which every soul yearns for. Jesus is not just another great man, prophet or teacher who is directing divine light to heal our souls and bodies but what sets Him apart from all others is that He is the Light.

 

John 8:12

12 Again Jesus spoke to them, saying, “I am the light of the world. Whoever follows me will not walk in darkness, but will have the light of life.”

 

Matthew 11:28-30

28 Come to me, all who labor and are heavy laden, and I will give you rest. 29 Take my yoke upon you, and learn from me, for I am gentle and lowly in heart, and you will find rest for your souls. 30 For my yoke is easy, and my burden is light.”

 

 

 

How to have a relationship with God

How to know God

Other links

Sekai Kyusei Kyo Resources

 

 

Encyclopaedia Britannica,Inc., copyright 1993, Vol.8, pgs.947-948, Omoto

Encyclopedia of Religion Second Edition, copyright 2005 Thomson Gale a part of The Thomson Corporation, Lindsay Jones Editor in Chief, Vol.1, pgs.108-109, Peter Clarke

Encyclopedia of Religion Second Edition, copyright 2005 Thomson Gale a part of The Thomson Corporation, Lindsay Jones Editor in Chief, Vol.10, pg.6574, Robert S. Ellwood, Shimazono Susumu

Religions of the world: a comprehensive encyclopedia of beliefs and practices/ J. Gordon Melton, Martin Baumann, editors; Todd M. Johnson, World Religious Statistics; Donald Wiebe, Introduction-2nd ed., Copyright 2010 by ABC-CLIO, LLC. Reproduced with permission of ABC-CLIO, Santa Barbara, CA.

The Holy Bible, English Standard Version® (ESV®)
Copyright © 2001 by Crossway,
a publishing ministry of Good News Publishers.
All rights reserved.
ESV Text Edition: 2007