Archive for the ‘Sukyo Mahikari’ Category

崇教真光

Sunday, October 12th, 2014

世界真光文明教団は岡田光玉を開祖とする戦後の宗教ムーブメントの1つである。その創設の動機は岡田自身が戦争からの鬱積のはけ口を求めていたことの他、彼個人の身体的障害や経済的な困窮などが挙げられる。こうして新興宗教と呼ばれる日本で生まれた数多くの新宗教カルトに共通する、世界平和と繁栄から成り立つ新しい秩序をこの世にもたらすような世界救済を成就するといったメッセージを発信し始める。
現在の世界情勢の最中、それが現実的で、かつ到来しつつある出来事であることを示す証拠はどこにあるのか?この疑問は岡田良一(光玉)の死後、教団が分裂した事によってさらに深まる。平和を説く集団でありながら内部においてすら調和が保てないなら、世界調和など論外とみなされても仕方がない。私は別の投稿記事で世界平和への関心に対する支持を表明したが、それは決して手段や方策を手当たり次第採用することを正当化することにはならない。

さらに無数のカルトがこの特殊な結果に主眼を置いている事実からも分かるとおり、すべての哲学および実践すべき方法論を正しいするわけにはいかない。とどのつまり、世界に蔓延する病状を正しく診断しながら正当療法を適切に処方しないとなれば、その行為は詐欺やいかさま療法以外の何物でもなくなる。まず岡田光玉について触れてみよう。彼は神から幻を授かったとされるが、それは当時高熱にうなされながらせん妄状態に陥っていただけに過ぎないと考えられる。その証拠に、この霊の旅路を通して彼は全く新しい啓示に出会ったとは考えられず、むしろ彼が元々所属し女性信者に対する性的不祥事やセクハラが原因で追放された世界救世教をリメイクしたに留まる。これに加え彼は神道、仏教、シャーマニズムなど、他の宗教の世界観に心酔しながらそれらを寄せ集めて、独自性に欠いた自分の信念を構築していった。それゆえ、他の宗教が正しくないとするならば、どうしてその流れを汲む宗教に真理を名乗る権利が与えられようか?

彼がこのようなインスピレーションを受けたか受けないかについては、裏付けとなる証言が得られない個人的な体験である。それゆえもしかすると悪霊や悪魔による欺瞞が影響しての霊体験であったとも考えられる。なぜなら幻や夢を見たなどという奇妙なことを訴える宗教的リーダーたちの間において、それが共通して見られる傾向だからである。その人間性善説と相俟って彼の主張は一見理性的に見えるが、同様のことを行う他の宗教リーダーおよびその指導下にある集団との線引きは何を基準に行うのか?中国およびインドシナ半島への侵攻に関わり後に中佐にまで上り詰めた、彼の軍人としての経歴がより一層問題を複雑にする。彼の提唱するヒューマニズム主義と全く辻褄が合わないからだ。それゆえ岡田の真の関心事や動機が他人の福利にではなく、この時代の救世主として最高権威者を演じる崇高な人物像を確立することにあるのではないかと訝っても不思議ではない。そうなればその利他主義的な態度も疑問視されて当然だ

コリント人ヘの手紙第Ⅱ11章14節
14 だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。

このグループで行われる危険な儀式の1つが、おみたまと呼ばれる聖痕を通して掌から光が伝わると彼らが信じる「真光の業」である。その外容も中身も実にオカルト的であり、悪魔を排斥するどころか逆に門戸を開きながら迎え入れるといった、常軌を逸した霊体験である。さらにカルマの教理が導入されることでより事態は複雑化する。本来この有効な対処法があれば、カルマというこの世を覆う反対勢力に十分対抗できるはずだからだ。

そして岡田本人の欺瞞あるいは妄想に支配された情緒不安定な性格が、その教義の信用に傷をつける要因となっている。例えば彼の持説には、失われた大陸と呼ばれるムーおよびアトランティスにまつわる神話が背景としてある。さらには、日本をほのめかす東洋の国において見出される「真光」という究極の真理に屈した、全宗教の開祖に関する寓話やおとぎ話を載せた「ライト・フロム・ザ・イースト(東洋からの光)」や竹内文書から概念を抜粋するなど、他者の仕事に多くを負った教条を標榜する。彼によればモーセが日本を訪れた後同国で死に、また世界の聖人・聖徒たちがその使命を果たすための訓練の場としておそらく日本を選んで訪れた。それだけではなくイエスまでもが18歳の時に来日し、その後移り住んだ土地で118歳まで生きたとされる。これに使徒の名を語ったグノーシス主義の福音書や、ダビンチコードの考案者による陰謀説にような印象を抱くのは私だけではあるまい。より留意すべきは世俗の歴史家でさえ歴史的信憑性を支持する、イエスの十字架刑の史実を否定する立場を取っていることだ。

Was Jesus Crucified?

彼はまた、天皇が地上の主たる地域へ大東亜思想の布教のために使者を使わしたとして、世界に対する多大な影響力を振う中枢国家としての日本の立場を前面的に押し出した上述の文書に感化されながら、歪んだ国粋主義を教示した。それならば、今日過去に信じられていたものとは別の真理があるとでもいうのか?太陽神である御親元主真光御み神が人命の源であり、また言語・文化・宗教を持つ文明の中心国家である日本

を建国したとするエゴに満ちた文化観と結び付く。しかし、このような小さい島国には不相応な、人類文明の揺籃という身分を日本に認める人類学者が果たして存在するかどうか疑わしい。私が偉大な文化や国民を擁する日本を蔑視しているのだと勘違いしていただきたくない。私はただ岡田の誇張表現に対して異を申し上げているだけである。

これらの資料に誤謬があるとすれば、岡田が自動筆記という悪魔懸かった霊行為を通して記録した57の啓示で構成される、御聖言と呼ぶ別の聖典に対しても疑惑が浮上する。

グリーンウッド氏のブログ「オールザ・エンペラーズ・メン(みんな天皇の僕、と言う意味)」によって、正にカルトへの反応としてまともな疑問が組織内部に沸き起こったことは、この宗教の信憑性を崩す強烈な一撃となった。メンバーはインターネット使用を禁じられ、外部の世界やこの教団に楯突いたり批判したりする声に触れることを制限された。

このような活動家すべてに弱者のレッテルを貼付けて異常人格者として無視する態度は非常に理解に苦しむものであり、撤回すべき警戒行為である。このことは、3日間の 入門コース後に約50%もの脱退者を出しているという実態とも無関係ではない。また魔術や奇跡に過度な比重を置いて会員数を下落させていることから、果たして教義が平和の実現と世界の復調といった主たる課題の達成に、適切かつ効果的であることを疑わせる要因となっている。

さらに感謝・謙遜・神の御旨の甘受という普遍的かつ神聖な原理に執着する彼らの理想主義は、魂を養育し霊と心身を浄化・保護・再活性化しつつ、天授の性質を復元させることをうたった「お清め」儀式と同様、斬新さを過剰に煽ったマーケティング戦略である。そこには現実や人間の性悪さがこの世界に及ぼす影響を単純化し過ぎている印象を受ける。たとえ仮にこの宗教活動が世界のごく限られた人々の間で功を奏したとしても、そこから真の世界平和実現にこの末端グループが影響するという理論は成り立たない。

また木や茂みに潜む悪霊のように、霊の憑依があらゆる病気や不幸の元凶であるという観念には、形而上学的な観点からも首を傾げざるを得ない。彼らを弁護して言わせてもらえば、聖書もこの世の仕組みが悪霊または悪魔による強力な支配と影響下にあることを認めている。しかし彼らの言い分は余りにも人間の悪への関与や可能性を無視、あるいは過小評価し過ぎている。人は各々の良心に罪に満ちた欲深さやその結果としての審判を訴える悪行に対して、責任を持つ存在であることを忘れてはいけない。

それに法律体系に準拠しながら生活する私たちは悪魔を起訴したりはしないし、たとえ誰かが悪魔に感化されて邪悪な行動に走ったとしても、社会は「悪魔がそれをさせた」という申し開きを理由にその本人の盗み、殺人、強姦を看過したりはせず、むしろ悲惨な道徳的悪影響を及ぼしたとして、これらの犯罪行為に対する責任追求のために懲罰的報いを課す。

ヤコブ書1章13〜15節
13 誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は悪の誘惑を受けるような方ではなく、またご自分でも人を誘惑したり為さらないからです。14 Bむしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。15 そして、欲望がハランで罪を生み、罪が熟して死を生みます。

ローマ人への手紙2章14〜16節
14 たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。15 こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。16 そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。

もしもこの組織が精神上または医療上の問題を世俗の専門家に任せておきながら、自らは個人の霊性を専門に扱うとして責任逃れをするようであれば、本来岡田が唱えていた病気や疾病の除去を明言する持論とは明らかに矛盾する。おそらく法的訴訟の可能性を一切抹殺しようとする防御策の一環であろう。特にフランスの反カルト協会UNADFIのような機関から監視されている現況を踏まえれば十分納得がいく。

そして最後、「救い主様」というメシア像を造り上げた岡田だが、彼は同類の役割とアイデンティティに陶酔しながら、古今問わず自作の尊号と社会的影響力を吹聴する無数のスワミーやグルの1人に過ぎない。しかし彼の実生活が証言する事実を考慮すると、彼の資格証明が有効であるか甚だ疑問である。聖書はこのような現象について預言しており、それは私たち全てが関心を研ぎ澄ませなければならない警告である。

マルコによる福音書 13章21〜23節
21 “そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。22 偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。23 だから、あなたがたがたは気を付けていなさい。一切のことを前もって言っておく。」

マタイによる福音書7章15〜16節
15 “偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。16 あなたがたは、その実で彼らを見分ける。

知恵と愛と神の御旨は神秘的で生気を持たない物体を通して伝えられることはない。神は救いと癒しをもたらす世の光である、神の一人子を遣わした。その一人子は現実の世界において可視的な人間の姿を取りながら神と人との間の仲介者として存在し、人間に取り憑いた悪の束縛を担い人類を浄化しつつ普く解放した。厳格な宗教儀式や会員とは異なり、彼は人を身請けするために身代金全てを自分の命と死をもって支払い、人は神の御国の相続に無償で与ることが許されている。

ヨハネによる福音書8章12節

12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光であるわたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

ヨハネによる福音書3章16節

16 “神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

終わりに差し当たり、大変手厳しい事を語ったことを認め、私の鈍感さゆえ必要以上に気分を害してしまった人がいるならば、1人の人間として謝罪いたします。私の願いはあなたにこの修辞法が意図する真意を読みとっていただき、枚挙した証拠を客観的に吟味していただきたいのです。未だこれらの問題に開眼しておらず、嘘を真理と偽る教団の餌食や犠牲になっている人々に光を灯すこと、それが私の本望です。

最後、至高および本質の真理を探求しているあなたに、少なくとも別の世界観に目を向け、イエスの人格と業とに対して開放的かつ真剣な思いを注いでみてください。

マタイによる福音書 11章28〜30節
28 “疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。. 30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからある。

 

 

神と関係を持つ方法

 

その他のリンク

真光の資料

Sukyo Mahikari

 

 

Religions of the world: a comprehensive encyclopedia of beliefs and practices/ J. Gordon Melton, Martin Baumann, editors; Todd M. Johnson, World Religious Statistics; Donald Wiebe, Introduction-2nd ed., Copyright 2010 by ABC-CLIO, LLC. Reproduced with permission of ABC-CLIO, Santa Barbara, CA.

真光の資料

Saturday, October 11th, 2014

四つの霊的な法則

Four Spiritual Laws

 

イエスの映画

Jesus Film: view in Japanese

 

新約聖書/聖書

Japanese Living Bible

 

オーディオ聖書

Faith Comes By Hearing

Mahikari Resources

Monday, December 31st, 2012

Four Spiritual Laws

 

Jesus Film

 

New Testament/Bible

 

Audio Bible

Sukyo Mahikari

Sunday, December 23rd, 2012

Sekai Mahikari Bunmei Kyodan was originally founded by Kotama Okada as another one of the post-war movements whose reactionary outfall of this conflict as well as maybe his own personal struggles of physical affliction and economic misfortunes has lead to the heralding of a common message among many of these new religious cults or shinshukyo that are being established in Japan as promising to bring about universal redemption by projecting the idea of a new world order of global peace and prosperity which sounds good yet what is the evidence in light of current world events that this is a reality or even an upcoming event? Contributing to this skepticism Sekai Mahikari Bunmei Kyodan split after Okada Yoshikazu’s death which should indicate that even these peace promoting groups cannot maintain solidarity within their own ranks let alone unify the world. As I have expressed in other posts this concern for world peace is legitimate but this does not necessitate that the end somehow justifies every means or proposition. Furthermore there are so many cults that are focusing on this particular outcome that it is impossible to justify every philosophy and methodology of practice. After all its one thing to correctly diagnose the sick condition of our world but without properly prescribing the right treatment then this practice only becomes fraudulent and quackery.

Anyway to begin with Kotama Okada supposedly received a vision from God which may have been no more than than the delirium that he was suffering from running a high fever at the time. Nevertheless this spiritual journey would not result in a completely new revelation but rather a remake of the Sekai Kyusei Kyo sect of which he was a former member of and according to one source he may have been expelled due to allegations of sexual misconduct and harassment towards its female members. In addition to this he was also under the influence of other religious world views as compiling his beliefs as related to Shintoism, Buddhism and Shamanism as lacking any kind of significant originality. So I am wondering since these other movements were not correct then whose to say that this post-movement is any better?

Again he may or may not have received inspiration as this was an unwitnessed personal encounter or event and perhaps another possibility is that he was under the deceptive influence of evil or the demonic as this is a common occurrence among religious leaders to make such outlandish claims as having visions and dreams. This may at first appear to be counterintuitive with his promotion of the common good of humanity but how is that any different than all the other leaders and their groups which are doing the same kind of things. This is further complicated based on his previous military experience as fighting against China and Indochina and later retiring as a Lieutenant Colonel which seems to conflict with these humanitarian ideals. It makes you wonder if perhaps the real attention or motivation here isn’t about the welfare of others but rather the fixation on his grandiose character as playing the superlative role as the messiah of the age thus challenging this seemingly altruistic behavior.

 

2 Corinthians 11:14

14 And no wonder! For Satan himself transforms himself into an angel of light.

 

Anyway one of the dangerous rituals of this group is their practice of “The Art of True Light” which they believe that they can channel or transmit light from the palm of the hand as utilizing an amulet or omitama which is occultic in practice or nature and instead of removing demonic influences they have opened a door as welcoming their presence which may explain any kind of deviant spiritual experience associated with this action.  To confuse things even further is their belief in karma which may conflict with this helpful treatment as resisting these supposedly prevailing and oppositional karmic forces.

Anyway some of the unsubstantiated teachings of Okada further add to his case as being an unstable character who was either deceptive or delusional. For instance many of his claims rest in the mythological backdrop of such ideas as the lost continents of Mu and Atlantis as well as beliefs that center on other peoples works in borrowing ideas related to the “Light from the East” and the Takenouchi documents which contain fables and stories such as the founders of all religions have succumbed to the reality that ultimate truth would essentially be found in the East thus implying Japan namely Mahikari. Additionally Moses visited and died in Japan and that nearly all the saints and holy men of the world have visited Japan perhaps for training to accomplish their mission. Furthermore even Jesus was believed to have come to Japan at the age of 18 and then latter returned where he lived to the remarkable age of 118 years. This sounds more like the conspiracy theories of the inventors of the Da Vinci Code or something like the pseudepigraphical works of the gnostic gospels. More importantly this position denies the historicity of the crucifixion which even secular historians substantiate.

jesusandjews.com/wordpress/2009/10/04/was-jesus-crucified/

In addition to this he also taught a distorted nationalism which may have been inspired by these previously mentioned documents with such beliefs as the importance of Japan and its superior influence on the world as the emperor supposedly sent forth emissaries into the all the significant regions of the earth as bringing forth their Pacific Asian enlightenment to mankind. If anything thats more true today than ever before.

Also this is followed with the egocentric cultural view that Mioya Motosu Mahikari Omikami or su-god made Japan the origin of human life and the center of civilization with its languages, culture and religions originating from this land. However I doubt that any credible anthropologist would agree that Japan was the cradle or seat of human civilization which is quite a boast for such a small land mass. Don’t get me wrong I am not slighting the Japanese as they are a great culture and people what I am challenging is the exaggerated claims of Okada.

Furthermore since these materials are erroneous I think it also calls to question the other sacred scripture or goseigen as composed from Okada’s 57 revelations which were recorded though the demonic practice of spiritism known as automatic writing.

Another blow to the credibility of this movement was a result from Greenwood’s publication “All the Emperors Men” which caused members to raise questions which in result was met with a very cultic response as members are discouraged from internet usage as isolating people to a degree as to limit the outside world or anything that may be challenging or critical to the movement. This along with labeling all these people as being weak in dismissing them as having personal problems is questionable as well which should be a red flag to vacate. This combined with a drop out rate of over 50% after the three day initiation course and the reduction of membership due to their over rated claims of magic and miracles beckons the question on how convincing or effectual this teaching is as to accomplish its chief agenda of bringing peace and healing to the entire world.

Moreover their idealism of adhering to the universal or divine principles of gratitude, humility and acceptance of the will of god as well as administering the ritual of practicing light energy or okiyome to restore their divine nature as purifying/protecting  and revitalizing the spirit, mind and body in nurturing the soul as to remove impurities is a marketing strategy of hyped sensationalism that oversimplifies the real and significant impact of personal evil in this world. Hypothetically even if this worked for a minority of the world population it still wouldn’t be considered a world of true peace based on the influence of a fringe group.

Metaphysically speaking I question their obsession with spirit possession as seeing a demonic spirit behind every tree or bush regarding all disease and misfortune. Favorably speaking on their behalf the Bible does establish that there is a strong demonic or satanic presence and influence in our world system but not to the degree that it ignores or underestimates human participation and potential for evil as being responsible for their wicked behavior which convicts their very conscious regarding their own sinful human desires and consequential judgement.

Also when we administer jurisprudence we are not prosecuting demons and even if someone had been under the inspiration of demonic vices, society does not dismiss the actions of someone who steals, murders and rapes with the excuse that “the devil made me do it”  but rather we see the need for punitive repercussion as having dire moral consequences and accountability towards these criminal acts as protecting the welfare  of others.

 

James 1:13-15

13 Let no one say when he is tempted, “I am tempted by God”; for God cannot be tempted by evil, nor does He Himself tempt anyone. 14 But each one is tempted when he is drawn away by his own desires and enticed. 15 Then, when desire has conceived, it gives birth to sin; and sin, when it is full-grown, brings forth death.

 

Romans 2:14-16

14 for when Gentiles, who do not have the law, by nature do the things in the law, these, although not having the law, are a law to themselves, 15 who show the work of the law written in their hearts, their conscience also bearing witness, and between themselves their thoughts accusing or else excusing them) 16 in the day when God will judge the secrets of men by Jesus Christ, according to my gospel.

 

Moreover I think it is inconsistent if the organization has promoted a disclaimer that they specialize more in the spirituality of an individual as leaving the psychological or medical problems to the secular professionals. Which appears to be questionable since Okada’s original claim seems to support the eradication of illness and disease. Therefore it gives the impression that their response may be a result of avoiding the pitfall of any potential lawsuits especially since this organization is under observation from such organizations as the French anti-cult association or UNADFI.

In closing Okada proclaimed to be a messianic figure as a divine lord and saviour or sukuinushisama but he is just one of many which have assumed this role or identity among the numerous swamis and gurus from both the past and the present with a self designated title of greatness and influence over society but based on his credentials I remain extremely skeptical in view of his life witness. Conclusively this phenomena is prophesied about in the Bible and it would behoove all to take notice of these warnings.

 

Mark 13:21-23

21 “Then if anyone says to you, ‘Look, here is the Christ!’ (Messiah) or, ‘Look, He is there!’ do not believe it. 22 For false christs (messiahs) and false prophets will rise and show signs and wonders to deceive, if possible, even the elect. 23 But take heed; see, I have told you all things beforehand.

 

Matthew 7:15-16

15 “Beware of false prophets, who come to you in sheep’s clothing, but inwardly they are ravenous wolves. 16 You will know them by their fruits.

 

Lastly the wisdom, love and will of God was transmitted not through a mystical  inanimate object but rather He sent the saving and healing Light of the world, His Son, who assumed a real and tangible human existence as a mediator between God and man to bear the evil burdens of humanity in bringing forth a cleansing and purification as universally liberating humanity. He paid the full price of mankind’s redemption with His life and death, apart from the rigors of ritual or membership fees, so that others could freely gain an inheritance into His kingdom.

 

John 8:12

12 Then Jesus spoke to them again, saying, “I am the light of the world. He who follows Me shall not walk in darkness, but have the light of life.”

 

John 3:16

16 “For God so loved the world that he gave his one and only Son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life.

 

In summary I know I have said some very hard things and as a fellow human I apologize if I have needlessly offended you as being insensitive towards this matter. However I hope you are able to see through the rhetoric as to objectively weigh for yourself the evidence. Anyway my concern is to illuminate those who are unaware of these issues who are being preyed upon and victimized from an organization that disguises this lie as the truth.

Finally I would ask that you would at least be open to another worldview as researching the person and work of Jesus with an open and honest heart as you seek ultimate or essential truth.

 

Mt 11:28-30

28 Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest. 29 Take My yoke upon you and learn from Me, for I am gentle and lowly in heart, and you will find rest for your souls. 30 For My yoke is easy and My burden is light.”

 

 

How to have a relationship with God

How to know God

Other links

Mahikari Resources

 

 

Religions of the world: a comprehensive encyclopedia of beliefs and practices/ J. Gordon Melton, Martin Baumann, editors; Todd M. Johnson, World Religious Statistics; Donald Wiebe, Introduction-2nd ed., Copyright 2010 by ABC-CLIO, LLC. Reproduced with permission of ABC-CLIO, Santa Barbara, CA.

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