文鮮明師は統一教会の開祖であり、彼のグループを「原理運動支持者」と呼ばれることが多い。文氏は何かと話題になる人物であり、元いた長老派の教会からはキリスト教主題および暗黙的メッセージを歪め聖書の歴史的聖書解釈の息の根を止めようとする冒瀆的な異端説を唱えたとして完全に除籍された。さらに文は聖書教理を剽窃および偽造し、さらに自らの教団について歴史的にクリスチャンの集まりの代名詞として用いられてきたと主張。つまり借用したキリスト教用語および象徴は除き、本来キリスト教的と定義されるべき事柄とは一線を画す組織である。以下の記事はほぼ全てのリスナーの鋭敏な耳を釘付けにする、集積された信用高い証拠に基づいて書かれている。もしこの宗教グループに巻き込まれてしまっているなら、どうかこの明瞭な警告に耳を拝借いただき、この常軌を逸した特異な教義について真剣に吟味していただきたい。
先ず、文氏の友人であり彼の霊媒師と相談役を務めるアーサーフォードについて触れたい。その影響力は彼のリストに名を連ね霊界からのメッセージを伝える霊媒師からの、神秘的および神秘主義的教義を中心に動く文のミニストリーにとって、決定的な要素である。驚くべきことに、他の霊媒師が文の独善さを確立させても、フレッチャーと名乗るフォードの友人は最高権威および偉人としての風格を文に見出せなかった。
とにかくこの霊能者の宗教行為は、言うまでも無く至って主観的で都合良く形而上化されており確認する事は不可能であり、民話のような途方も無い筋書きを持つ神話または空想話に発展するケースが少なくない。儀式を通して悪魔と手を取り合うような、万能者への反逆に満ちた禁忌の霊能者を介したオカルト的な行為は、それだけでこの集団からの回避・避難を促す十分な警告灯である。
レビ記19章31節
31 “霊媒を訪れたり、口寄せを尋ねたりして、汚れを受けてはならない。わたしはあなたたちの神、主である。
申命記18章9 ~12節
9 “あなたが、あなたの神、主に与えられる土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。10 あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、11 呪文を唱えるもの、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者、などがいてはならない。12 これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。
このミニストリーはキリストを退けて、その王座から引き摺り下ろす「取替え神学」を中心に展開されており、文はより栄光と尊厳に満ちた高尚な地位に優る身分を主張する。
ローマ書10章6節
6 しかし、信仰による義については、こう述べられています。「心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない」これはキリストを引き降ろすことにほかなりません。
本質的に文は彼自身を、自分の二番目の妻である韓鶴子と誓いを交わす事で「小羊の婚姻」という重要な行事を実現する全人類の王として、イエスよりも優れた存在として描く。しかしイエスの弟子であるヨハネがその幻の中で彼が自分の主であり救い主を差しおいて別の韓国人救世主について言及しているとは信じ難い。
さらに彼はイエスの十字架における死は救いの失敗に付随した追加の出来事として弱さと敗北の象徴とみなしている。しかし聖句を見ていくと、イエスの十字架が根本的な贖罪という神学上に成り立つ聖書的な意図と思考パターンと辻褄が合っており、人の代わりに自分の命を捧げたキリストの祭司としての役割および使命に呼応している。あなたは果たして、自分の身代わりとなって死んだ誰かを信じるのか、命を犠牲にすることもせず名誉と栄光に執心する誰かを信じるのか?
文は自分とは違いイエスが自己中心であったとさえ言うが、イエスは仕えてもらうためではなく仕えるため、しかも自分の命を生け贄として捧げるために地上に来られたのである。
イエスは最後息を引き取る前、ご自身の人類の贖いという地上における人間としての業が完了したことを宣言した。それにも関わらず文はイエスがご自身の使命を完遂できずその地上の生涯と働きが不完全に終わってしまったため、自分がイエスからその使命を引き継ぐように依頼されたと語る。文の次男である顕進(ヒュンジン)から降される啓示がイエス、使徒パウロ、聖フランシス、キルケゴールなどに関わりがあるとする持説を訴える。このような発展型の啓示から、結果として文鮮明は王の王、主の主として称賛を得る対象としてのアイデンティティを築くことになる。こうして文は妻の韓鶴子と共に栄光の王という最高権力者としての地位を付与され、2人は各々地上の王ならびに女王として支配する。このことに絡みイエスは、真の両親を前に謙り従順に自らを彼らに明け渡すこととなる。
文はそのような裏付けの無い持説を根拠に世界規模に及ぶ自身の影響力を主張し、ベルリンの壁崩壊やペルシャ湾戦争など特定の出来事を引き起したと吹聴する。
最後にもう一点。文は自らの文才および頭の大きさを自慢しながら、もし彼がその気になれば異なる学問分野で号を修める事ができると公言する。さらに彼は自分が存在しない世が仮にあったとしても、それは無に等しいと口上を並べ立てる。そしてサタンが自分の後を追跡することに余念がないと主張し、遍在であり全知全能なる神が彼の行き先を伺い立てるという発言すら憚らない。
文の桁外れの傲慢さと常軌を逸した主張とは裏腹に、現実は彼の真の性質を物語るような汚点に満ちている。その証拠の1つが脱税による禁固刑であり、さらに彼の元義理の娘であり暴露回顧本「わが父、文鮮明の正体」を著した洪蘭淑による告発は、おそらく文の名声にとって致命的な打撃を与えるだろう。その中で彼女は、彼には私生児があったと推測している。
これら全てに加え、彼は自分の弱点や栄えある人格への悪影響にもなり兼ねない一個人の悲劇を受け入れていないように見える。彼の長男である文孝進の自殺を、真の両親をサタンから守るための自己犠牲行為であったと肯定的に解釈し、この事件を巧みに利用しようとした。
イエスの死を事故または災難として片付けておきながら文は彼の実子の死を失敗とはみなさず、むしろ彼のミニストリーを支えるための展開として大成功であると理解したのだ。また彼の別の息子である文享進が交通事故で重傷を負いそのまま帰らぬ人になってしまった際にも、文自身の使命を守るか、またはおそらく彼を予想される暗殺からも保護するための神聖な行為であったと解釈した。さらに文は、全て発生した状況によって韓国は北朝鮮による侵略を回避することができたと言葉を続ける。そして享進の死と死後の状況はカルバリと2回目のイースターの隠喩として位置づけられた。さらに享進の死から一週間経過した後、文鮮明は現在享進がイエスの霊的指導者になっていると宣言している。彼の言い分の奇怪さはこれに留まらず、死亡した息子はその没後、文の最高顧問である朴蘭淑と結婚しているとされている。
以前も触れさせていただいたが文のミニストリーは、故孝進の生まれ変わりとされたジンバブエ支部のクレオパス・クンディオナのような霊媒師によってさらに弾みをつけた。しかし彼に指導者の真似事をさせるという決断によって悲惨な結果を招いてしまった。彼は統一教会メンバーの意志を封じ込め、さらに骨折までさせるといった非常に残忍な方法で肉体的な修練を指導した。さらに彼は朴普煕を殴打し意識障害に陥らせ、外科手術を要するほどの頭蓋陥没を被らせた。それにも関わらず文はクレオパスにそのミニストリーを一年間継続させ、その挙げ句この黒人孝進はその教団から距離を置き、さらに報じられるところによると人妻を妊娠させておきながら、自分こそ再臨の主であり文師は自分のミニストリーの道備え役に過ぎないとさえ言い及んだ。皮肉にもキリストが自分自身の前身であるとした文の声明と重なる。実を見て木を知るという格言がある通り、文自身の許し難い実を食わされたというところか。
文は後に享進と、文が「大母様」という名誉称号を付した自分の義母であり、享進と共にいながら先祖の霊を解放し、ルシファーを神の計画下に従属させると言われる故洪順愛と交信したという別の霊媒師を採用した。
アフリカ人孝進の悪評に満ちた狂気沙汰とは異なり、キム・ナムヒョは複雑な離れ業を披露し、文氏に伝える特定の神聖な目印を見出し得るという信用を築き上げた。また彼女はイエスの荒野の40日間を模倣し、40日間の不眠祈祷を決行しながら徹底した信心と真摯ぶりをアピールした。またサタンに抗うために氷水の中に飛び込むといった奇行の他、彼女にまつわる伝説的エピソードとして、天使が奇跡を行い彼女の目の色を大母様のものに合致するように変色させたというものがある。だが彼女はある儲け話に便乗し、先祖の第一世代を解放するためのワークショップと銘打って1400ドルを参加者から徴収したとして、その偉人としての立場を傷つけた。先祖代々の霊を救済するために、一体どれだけの費用が掛かるというのか。
キム氏はまたワシントンD.C.のRFKスタジウムで統一教会の大祝賀会を開催。この大会を通じてイエス、仏陀、ムハンマド、および孔子など、大宗教と呼ばれる宗教の開祖も参加しているとされた。
彼女はアクイナス、ジョンカルバン、マルチンルター、聖マタイ、そして使徒トマスまでをも含めた今は亡き先人たちをアメリカの宣教師として任命することができ、さらに休養所として適切な場所を調査させるために、天使たちを世界中の名立たる病院へ派遣する権限を持っていると言われている。この上物議を醸す発言としては1997年に彼女が発したものが有名だ。キムの言葉によると、神に愛されるためにはきちんとした清潔な装いと髪型に注意を払わなければならないそうだ。
これでもまだこの宗教のインチキぶりを真剣に信じようとしない人には、まだまだ聞いて呆れるエピソードがたくさんある。霊界の故リーサンフン博士や享進と交信できるとされる霊媒師キムヤンスンにリー博士は、天国の自動車が大変高速であると伝えたそうだ。彼はさらに真の両親が来るまで天国に向けての動きはなく、イエスは忘れられた存在であると語る。さらに死後の世界に関する過激な発言は留まる事を知らず、マリアとヨセフはお互い見知らぬ者同士であり、仏陀は神を知らなかったことを後悔し、そして孔子は雪の中で瞑想に耽っていると語る。また彼によればモハメッドを訪問する事は難しく、ソクラテスは我が強く議論好き、ユダは無口である。エバについては、サタンに完全に心を奪われたという解き明かしによって、両者の肉体関係の教義に色を付けた。
他にも、カールマルクスが共産主義を訴え、レーニンは他の革命を模索し、そしてヒトラーは元犠牲者たちの攻撃に合いながら首つりを図ろうとしているなどと、空いた口が塞がらないような馬鹿げた空想話が出てくる。元北朝鮮の政治的指導者金正成が彼にこう語ったと言う。もし彼の息子が文に服従しないなら北朝鮮は滅びると。この極めつけが自分は文の愛を受けるに相応しくないと書かれたイエスからの手紙である。
ヤンはさらに続けて世界有数の宗教の創始者たちが真の両親と結束したと伝え、また36 名の大統領と120名の共産主義指導者一同が、文を真の救世主および人生における全ての問題に対する永遠の解決者とする宣言に合意したと語った。
ヤンが持っている情報の中にはサタンの神に対して行った告白と悔い改めに関するものも含まれている。だがそれにしては悪魔的な勢力が衰えている兆しは全くなく、国際社会に見るその影響力も依然として維持されている。他の新宗教とカテゴライズされる多くの集団と同じく、神への反逆心の下、栄光を我がものとするために宗教を騙りつつ、自ら牛耳る教団信者の心を掌握している姿が、何よりの証拠ではないか。
文は自分自身の計画について、自分を世界の核心に位置づける だけの単純明快なものだと語っている。また彼は「我が行いではなく、我が言葉に従え」という精神構造を露呈せんばかりに、自分の弟子たちには謙遜を命じておきながら彼は一向にそんな素振りを一切見せない。一方イエスの行動が示すように、彼は自分がしようと思わない、あるいはできない事は一切弟子たちに強要しなかった。これこそ神の性質を帯びつつもその天の栄光をかなぐり捨てて、自らを低め肉の姿を取り人間と同じ試みを受けながら、自らの被造物であり、その殺戮の手に掛かりながらその救済を図る人間の拒絶に苦しむ、究極的な謙遜のあり方である。
一方で文は、神格化された英雄として自分自身を高め栄光と力を恣にし、余りにも有限な人間的器量を神の栄光と取り替えながら、サタンが全能者に対して行うかのように創造者である神の真正な議論に口を挟むような、1人の人間に過ぎない。
イザヤ書14章12~14節
12 ああ、お前は天から落ちた
明けの明星、曙の子よ。
お前は地に投げ落とされた
もろもろの国を倒した者よ。
13 かつて、お前は心に思った。
「私は天に上り王座を神の星よりも高く据え
神々の集う北の果ての山に座し」
14 雲の頂きに登って いと高き者のようになろう」と。
この大げさな憶測はもし彼が自称通りの人間であるならば有り得る話しである。しかしその説および彼の働きとミニストリーを支える取り巻き達を見る限り、率直に言ってそれは詐欺であり最早疑問や議論の範疇を越えていると言わざるを得ない。また自分自身やその近親者たちの偉大さを喧伝し、崇高な人物像を自らに帰する彼らの有様は、典型的なナルシズムの極みである。全宗教を取り込み統一された教会と、権威に身を委ね真の両親に服従することを定めた神の原理という旗の下、それら相互を提携させるというというここまで欲張りな姿勢は、どの時代の宗教的指導者にも見られなかった。
この絶望とも思える文への信仰は、特に危機に瀕した人にとっては何か心を惹きつける要素があるのかも知れない。また英雄的かつカリスマ的指導者である文が放つスーパースターとしてのステータスと風格から 彼について人間の問題を解決する希望を訴えた世界的なメッセンジャーであり、目視で確認できる待望の時代的韓国人救世主とみなした人がいたように、人が文に求める決定的な事柄が多く存在すると考えられる。しかし私から言わせると彼の影響力とマイノリティな集団による努力からは、文の偉人としての立場や使命に対して、過度の期待と過大評価された可能性に応えるだけの結果は生じていない。今に至って、その事実から文がいかに多くの人々をこれまで騙し続けてきたことだけが明らかになっている。
自ら回復を行った人間性を、さらにご自身の栄光に満ちた姿にまで建て上げる業を完遂し、さらに全ての敵をその足下にひれ伏させてご自身の御国を地上に建国し、究極的かつ絶対的な平和をもたらすのは文ではなく、イエスである。最後に一言。文氏が名誉欲しさに行った事は、反キリストが光の天使の姿を纏いながら偽物を演じ、キリストの純粋な働きとミニストリーを妨げる、正に終わりの時代に顕著な欺瞞であることを申し添えたい。
マタイによる福音書 24章11節
11 偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。
23〜24節
23 そのとき、「見よ、ここにメシアがいる」「いや、ここだ」と言う者がいても。信じてはならない。24 偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。
ガラテヤ書 1章6〜9節
6 キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。7 ほかに福音と言っても、もう1つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているに過ぎないのです。8 Bしかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を知らせようとするならば、呪われるがよい。9 Aわたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものいに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。
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“Reprinted by permission. “(Nelson’s Illustrated Guide to Religions), James A. Beverley, 2009,Thomas Nelson Inc. Nashville, Tennessee. All rights reserved.”